自分が経験した範囲で物事を捉えることは決して悪い事ではありません。
しかし、それがすべてなのか、それが限定されたものなのかの見極めが必要です。
http://blogs.wankuma.com/hatsune/archive/2008/05/25/139278.aspx
このエントリでは、限定された範囲での経験で物事を断言している例を取り上げました。簡単なSQL文で済んでしまう事が限定されたケースであるのは、皆さんも書かれている通りです。それに正規化の事を考えてみてもSQL文の行数が多い少ないという評価基準はあまり意味がないというの経験上ではなく推論結果としても理解できる事柄ですよね。
http://blogs.wankuma.com/hatsune/archive/2007/09/20/97109.aspx#130280
こちらのケースでは、私が、表のサイズが増減(レコード数の増減の事)すると最適化が正しく行われない事について時代遅れだと論じたことについて、プログラムが悪いんだろうと反論して頂いた例です。
「レコード数が増えることはあっても減ることはない」という前提と「レコード数は増えるかも知れない減るかも知れない」という前提のどちらが限定されたものかは、コンピュータサイエンスなどという大それたものではなく日本語でOKな世界でも一目瞭然です。
※ずばり書けませんが、例としてこのコメントをとりあげたのには理由があります。
前者は私が反論を書いた立場、後者は反論を書かれた立場だからという訳ではありませんが、後者の反論は苦しいものがあります。それは「自分は偶然そうだっただけいう話ですが」とは書かれていますが、限定された前提での情報だというスタンスを(DB管理者としての立場上)意図的に明確化していない、または本人が本当にそうは思っていないからかも知れません。
限定された前提での情報は非常に重要です。もしかしたら、その限定された前提と同じ前提になってしまっている人もいるかも知れないからです。
しかしながら、一般的な前提と限定された前提のすげ替えは問題です。
当事者という立場から、一歩引いた目線が必要なのでしょう。
だからこそ、見極めが必要であり、私も含めて注意していかなければ簡単に嵌ってしまう落とし穴とも言えます。他山の石としたいと思います。