コメントで返そうかと思ったけど、長くなったのでエントリ化。
re: メール…なぜにメール?(さかもと画伯)より:
いや、違いますよこれ。完全にアウトじゃないですけど、極論すぎ。
技術的云々っていうと確かに問題あるけど、それより先に地域の「人の意識」を高める効果を先に期待しているかと。
ええ、極論です。過剰だという反応があることを期待して、極論に走っています。
理由は、それより先に地域の「人の意識」を高める
ことが必要だと思うので。つまり、「地域の人が協力して、子どもを守り、育てる。IT技術なんかに(だけに)頼ってちゃダメ」だと思うからです。
学校からの告知なり、回覧板なり、地域放送(ないとこあるけど)なり、通知の方法は様々ありますが、通達手段として携帯メールは現在ではかなり身近で他媒体よりはかなり高い確率で親の元に届くと思います。「不審者情報は回覧したけど誰も(さっと目を通すだけだから)気に留めなかった」よりはマシ。
ええ、そう思います。なので、回覧部分については、なにも突っ込んでいません。
って、システム全体に突っ込んでいるように見えるから、そのことは書かなきゃいけなかったですね。
前の学校では、ボランティアで、近隣で発生した痴漢、不審者の情報をメールで配送してくださる方がいらっしゃいました。こういうのは、とても便利だと思うし、有用だと思います。私が「要らない」と言っているのは、こういうお知らせではなく、「「学校を出た」ということを通知すること」です。
今、息子が通っている学校でも、下級生は持ち回りで「下校指導」という名目で親がついています。上級生になると、クラブ活動などで、下校時間はまちまちですから。そういう、ひとりで下校する可能性が高い児童の「学校を出た」という情報を、配送する必要があるのでしょうか。
また、学校便りによって、下級生は下校時間が知らされています。時間割を見れば、何時に終わるから、何時頃帰ってくるのかもおおよそわかります。わざわざ知らせる必要を感じません。
より安全になるなら、必要だと思います。しかし、より安全になるわけではありません。過去数件発生している事件では、帰宅時間がいつもより遅いから親が心配しだしています。これは、学校を出たことをメールで知らせようと知らせまいと変わりはありません。むしろ、メールが遅延することで要らぬ心配をかけるだけではないでしょうか。
で、システムやシステムのユーザよりも、むしろ、システム開発者が、「ウェブ通信は、データを複製してばらまくことで成り立っている」ことを知らないのではないか?ということを危惧します。どちらかというと、このエントリのメインはシステム開発者に対する危惧で、その危惧を具体的な形にしてくれたニュースを借りた、といっていいかもしれません。
私は、ウェブ通信には、確実性はないと思っています。もちろん、インターネットは、どこかの線が切れても別の線を通って到達できることを目的として考えられたものです。しかし、そういう仕組みだからこそ、データ(パケット)に寿命が持たせてあります。どのデータも寿命までに目的地に到達できなければ、そのデータは消えてしまいます。確実に届くように考えられているけれど、やはり確実とは言い難い部分があります。この部分の説明がされているでしょうか。また、リスクについて、周知され、考えられているでしょうか。3月のエントリで紹介されている元ネタの学校では、リスクについては提示され、「それでも」という意見が多かったと書かれていたように思います。元ネタが削除されているので、高木氏のサイトに引用されている分しか確認できませんが。しかし、遅延などがあり得るという部分については、少なくとも保護者には知らされていなかったようです。知らされていたら、学校に電話が殺到することはなかったと思います。
私は、「問題がないことを知らせるシステム」ではなく、「問題があることを知らせるシステム」の方が、安心できると思います。問題がないことも通知していると、問題が「ある」のか「ない」のか、通知されたものを理解しなければ判別できないからです。
もちろん、いざというときに機能しなければ、それはそれで問題です。とっちゃんさんが書かれているように、疎通確認を兼ねた連絡を行うことも必要かと思います。前述の、前の学校のメールでは、「ここに返信してください」というアドレスがついたものが、時々流れてきました。
毎日8時頃、「学校に着きました」というメールが届きます。それに慣れてしまうと、実は「途中で事故に遭いました。**病院に搬送中です」という、本当は読まなければいけないメールを、見過ごしてしまうかもしれません。いや、そんな緊急なものは電話で確実に伝えるでしょうが、逆に言うとメールには、電話ほど、確実性も緊急性もないわけです。
また、メールは簡単に偽ることができるということを、忘れてはいけません。家には「学校に着いた」というメールを送りながら、登校中に誘拐することも可能なのです。このとき、担任と家の連絡が緊密であれば、早い時点で事件であることに気がつくでしょう。
学校と地域、家庭の連絡を密にする手段としてのメールを否定するわけではありません。否定したいのは、「学校に着いた」「学校を出た」という情報を、メールで流すことです。
投稿日時 : 2007年12月18日 22:39