発端は、りょーいちさんの
「[写真] 名古屋勉強会 #2 ありがとうございました。」
で、えぴさんの「僕は楽しいのが好きだから」
で、かるぼさんの「【私見】勉強会とは」
MISAOというツール、つまり、某ストリーミングのコメント欄の内容をプレゼンテーションの画面にかぶせるようにして右から左へ受け流すツール、が話の主人公。
メリットは、場が盛り上がる、場がつながる、会場以外からも質問できる、ツッコミできる
デメリットは、スピーカー&会場が気が散って集中できない、本題とは関係ないネタで画面が爆撃されてしまう、画伯のセクハラがある(違)
いつかの恣意のさんのエントリーにあった、ムーウォークの熊の話、のように、人の集中力ってのは都合よくできてない(笑)だから、MISAO禁止!と言う人の気持ちというか考え方がおかしいとは思わないし、さもありなん、だとも思うんだよね。
けれど、私が思ってることはちょっとズレているのかもしれないけれど、問題はそこじゃない、と思ってて。
そもそも、勉強会って、何よ?
私の思う勉強会、それは、出た人、話した人、見た人、聞いた人、かかわった人が、「何かのお土産」を持って帰れるイベント、だと思ってる。お土産は形あるものかもしれないし、形のないものかもしれないけど。
べんきょう ―きやう 0 【勉強】
(名)スル
(1)学問や技芸を学ぶこと。学習。
「―部屋」「おそくまで―している」
(2)ある目的のための修業や経験をすること。
「何事も―だと思ってやってみる」
(3)(商人が)商品の値段を安くして売ること。
「―しますのでお買い下さい」
(4)物事にはげむこと。努力すること。
「職業に―する精神あること/西国立志編(正直)」
(5)気が進まないことをしかたなくすること。
「―して櫓を揺しゐたれば/甲子夜話」
〔(4)が原義〕
の、それこそ、(1)(2)(4)が勉強会の目的というか参加や行動の動機であってほしい。(3)はちょっとなー、だし、(5)はわざわざしなくてもいい、と思うから。
つまりね、スピーカーとして登壇する人が、テーマを通じて、その達成目的手段にMISAOを必要と思うなら、それはそれでかまわない、って思うんだ。むしろ、大切なのは、スピーカーが伝えたいことを伝えたい形で伝えられること、参加者がそれぞれに受け取りたい形で何かを知って感じて理解して持ち帰ってくれることだと思う。そうできるように、場を準備して裏方するのがディレクターとしての仕事なんだし。
5/31 東京勉強会#20 ぴんくまDay ディレクターやります
これから色々とやらなくちゃいけないことがあるとは思いますが、精一杯できる限りやります。現地もネットの向こうも、「参加したい」「見てみたい」「聞いてみたい」そんな人たち皆が何か一つでも「勉強の成果」を持って帰れるような「勉強会」となるように、色々取り揃えてます。そして、ぜひ、参加して、何かを持ち帰ってください。
MISAO?もちろんオッケーだよ。自由だよっ!
でも、セクハラはやめようね? いきなり訳わかんないナナメ上ボケも気をつけてね♪ 空気読もうね?非表示コメントを使いこなそうね?
片桐とのお約束だよ?(にっこり)
勝手にインフラ隊のみなさま、いつもありがとうございます。もしよろしければ、5/31もよろしくお願いします