トラックバック:地震(やや長文)
まず、岩手・宮城内陸部地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
こんなときだからこそ、地震の記憶を風化させてはいけないと思い、4年前の新潟県中越地震の後に、私が自身のWebサイトに書いた地震体験記を再録します。
今読み返してみると、まとまってないところも多いし、なんとなく「若さ」がにじみ出ていてこっぱずかしいのですが、当時のライブ感は伝わるかと。
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10/23の新潟県中越地震、段々と余震も治まり、復旧も進んでいます。本震が襲ったとき、私はたまたま実家に帰っている途中でした。誕生日が近かったため、家族が祝ってくれるはずでした。
実家まであと10分くらいのところで、いきなり車が左右に振られました。最初は風か何かの所為かと思いハンドルを切りかけましたが、ハンドルはまっすぐなのに左右にぐわんぐわん揺れるので、「こいつは地震だ!」と思いすぐ停車し様子を見ました。
強さが半端なかったので、急いで家に帰らねばと思い車を走らせていたら、なぜか通行が滞っていました。何かと思い確認しに行くと、なんと道路の左半分が10メートル位崩れ落ちていました。残った右半分も今にも落ちそうな感じでした。これでは家に帰ることが出来ません。
その場所は山を切り崩したり、土を盛ったりした道路だったため、沢を埋め立てたところが崩れていたようです。あと5分早く出発していたら、道路とともに崖下に落ちていたかもしれません。かなりゾッとしましたよ、ホント。
「ここにいては危ない!」と思ったので、元来た道を引き返すことにしました。その途中、容赦なく強い余震(2度目の震度6強)が襲ってきました。山からは土砂崩れの音が森の木が折れる音とともに聞こえてきます。道路は波打ったり、ひび割れたりしています。(後で聞いたら、この余震で残った右半分もなくなったそうです。)今走っている道路がいつ崩れるのかと怯えながら、街中目指して走りました。マジで死ぬかもと思ったのは人生2回目でした。
何とか街にたどり着き、とりあえず安全なところに行こうと思い、私が昔行っていた中学校に向かいました。学校ならば広くて崩れるものもないし、非難してくる人もいるだろうと思ったからです。・・・が、見事に予想は外れました。誰も来やしねえ。とりあえず、近くの診療所の駐車場に移動することにしました。
車を止めてから、とにかく家に連絡しようと公衆電話を探しに出ました。(私はPHSを使っているため、地元は田舎で使えないんです。)その途中人が集まっているのを見つけ、そちらに行くと偶然中学時代の同級生に会いました。公衆電話の場所を聞くと、近くにはないとのことだったので諦めました。
そうとなれば、一人でいるよりは大人数でいたほうがいいので、しばらく話をしたりしていました。そんな中で空を見上げると、いわゆる「地震雲」と呼ばれる気持ち悪い雲が見えました。同級生が知り合いから聞いた話だと、空との境界線が真っ直ぐになっていたり、波打つような雲が危ないということでした。・・・両方出てんじゃん( ̄□ ̄;)!!!
そんなこんなで余震に耐えていると、役場の人が中学が避難所になっていると教えてくれたので、みんなでそちらに移動することにしました。いつまでも診療所の駐車場に車を置いておくわけにもいかないので車ごと移動です。
中学校に行くと、すでに何台も車が集まっていましたが、車のライト以外明かりはありません。役場の人もいないようです。せめて火ぐらい焚いていてくれればいいのにと思いましたよ。そうすれば多少は暖が取れるし、何より火を見ているとホッとしますから。
しばらく待っていると役場の人が毛布を配りにやってきました。話を聞くと、まだまだ状況はまったくといっていいほど把握できていないとのこと。おとなしく車の中で朝を待つことにしました。
その日は運悪く、かなり冷え込んだ夜でした。毛布をかけて眠ろうとしても、寒さで目が覚めます。そのたびにエンジンをかけて暖房を入れ、また眠るという繰り返しです。余震も続いているため、よく眠れるわけがありません。
仕方ないので空をまた見上げると、地震雲は無くなり、かわりにすばらしい星空が広がっていました。あれだけの星空は今まで数えるほどしか見たことがありません。
そんな風にして時間が過ぎていき、ようやく空が白んできました。もうしばらくすると日が出てきましたが、気持ち悪いほど鮮やかな朝焼けでした。やっぱり地震の所為だったんでしょうか?
7時を過ぎたころ、役場の人が水とカップめんを配布しにやってきました。配られたカップめん(しかもカップヌードル)をすすりながら、思わず「あ~、被災者っぽい」とか思ってしまいましたよ。
しかし、避難所でカップヌードルをすすりながら「おめでとう」って言われる誕生日ってどうよ?絶対忘れられない誕生日になりましたわ(T-T )
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避難所にて配給されたカップめんを食べ終わり、家に帰るために役場の人に現在の状況を聞くことにしました。
話を聞くと私の実家への道は通行止めになったらしく、山道しかないとか。その山道も今は通れるがいつ通れなくなるか分からないとのこと。
話を聞き終わった後は、とにかく実家に帰ることにしました。ただ、ガソリンがあまりなかったので、無事なスタンドを求めてまずは隣の十日町市へ。十日町市へ行くには橋を通らなければならないのですが、3本あるうち無事なのは一番新しい1本だけになっていました。
ガソリンスタンドに着くと、もうすでに車の列が出来ており、いくらか待った後ようやく入れてもらうことが出来ました。ただ「おつりがなくなるかもしれない」ということで、満タンにはできず\2,000分だけ入れてもらいました。こんなところにも影響が。
その後コンビニに立ち寄ると、停電していたにもかかわらず営業していました。そこの話ではないですが、レジは使えないので電卓で応対していたところもあったそうです。恐るべし、○ブン・イ○ブン。
ひとまずそこでメールを確認すると、すでに20件近く。みんなありがとう。あったかいなぁ。とりあえず一番連絡を取りたかった人に真っ先に無事を知らせるメールを送り、夜にはアパートに戻ると言いました。家族には昨晩同級生からケータイを借りて連絡を取って無事だと確認してあります。
そしていよいよ実家に向けて車を走らせました。昨日引き返した道を戻っていると、昨日はひびが入っていた程度の道路に滑落箇所が新たに出来ていました。改めてゾッとしましたよ。もし引き返している途中に道路がなくなったらと思うと。
その場所にはちょうど白バイの人がいたので道路状況を聞いたのですが、上越から今来たばっかりでまだまだ確認しているところで詳しいことは分からないとのこと。もうこうなったら駄目もとで山道に行ってみるしかなさそうです。
滑落している道路を見ると、端っこの方に落ちずに残っている部分があり、車一台がなんとか通れそうです。その無事だった(といっても今にも落ちそうなんですが)なところを通って実家への山道に入りました。通ってる最中「落ちるなよ~、落ちるなよ~」と祈って。
山道はさすがに何箇所かがけ崩れで道路が半分ふさがったりしていましたが、思ったより状況は良く何とか実家にたどり着けました。
家に帰るとまあ酷いもので、植木鉢はごろごろ転がっているは、庭作業の道具を入れている棚は倒れているは、屋根瓦は落ちているはと、目も当てられない様子。
中に入ると砂壁にヒビが入っていてボロボロ壁のカスが落ちていたり、テレビが台から落ちていたり、飾っていた提灯はことごとく下に落ちていたりと、片付けるにしてもどこから手を突けたらいいのやらって感じで。(提灯は旅行地で売ってるやつね)
とりあえず家族が居間に集まっていたので、そこに合流して状況を聞きました。電気は止まったけれども、水道は今のところとまっていないし、ガスはプロパンだから使えるそうです。でも、水は集落の貯水タンクが空になったら出なくなるかもしれないってことでした。
当初はしばらく家で過ごしたらアパートに帰るつもりだったのですが、道路は殆ど寸断されてしまったし、アパートに帰るよりは実家にいたほうが食べ物に困らなそうだったので、何日か落ち着くまでは実家で過ごすことにしました。(というか家族に説得されました。)
一通り話を聞いたらもうやることもなく、夜まではラジオを聴きながら本を読んだりして過ごしていました。夜になると電気がないのでろうそくの明かりのなか、ラジオの情報に耳を傾けることしか出来ませんでした。
さすがに疲れてもいたのでその日は早く眠りに着きました。といっても自分の部屋は寝れるような状態じゃないですし、大きな余震がいつ来るかも分からないので、居間で毛布に包まってですけど。それでも車の中よりはよっぽどましでしたよ。
* * *
翌日目が覚めるも、夜中に何回も余震が来るのでどうも寝たりない感じでした。朝になってもまだ電気は復旧していない模様。とりあえずすることもなく、ラジオで地震情報を聞きながら漫画を読んだりして無為な時間を過ごしました。(ちなみに読んでたのは「エースをねらえ!」なんでやねん。)
そういえば今日は月曜だということを思い出し、3時過ぎくらいに電話をしに、車で5分くらいのところにある公衆電話に行きました。会社に連絡を取ると第一声が、
『ああ、安否不明者の一人ですね( ̄ー ̄)』
なんて言われたりして(- -;仕方ないんだよぅ。電話が使えないんだからさぁ。後日聞くと、最後まで連絡取れなかったのが私らしいです。
その後家に帰って同じように時間をつぶしていましたが、夕方になるともう暗いので、後はラジオだけです。もちろん明かりとしてロウソクは点けていますが、本を読めるわけもなく。
そして夕食の時間になり、みんなで集まって食べているとき、ふと外を見ると街灯がついてるじゃあないですか!ようやく電気復旧です。
コンセントの確認をしてブレーカーをあげると、久しぶりの電気の明かりが。いやぁ、電気ってありがたいですね。もう電気なしの生活は無理だと思いましたよ。なんといっても安心するんですよね、明るいと。
電気がつけばテレビも見れるってことで、早速つけると予想通り地震情報ばかり。改めて目の当たりにすると、自分たちがいかに恵まれた状況にいるのか。本当にありがたかったですね。
・・・で、翌日からの生活ですが、救援物資が届くようになってきました。最初は1日に家族におにぎり1個とかだったのが、後のほうだと20個(うちおかかがほとんど)になったり、菓子パンが山ほど届いたり。
中でも印象的だったのがこちら。
この緑色、なんか見たことありません?そうです。自衛隊のやつです。カレーなんか「戦闘糧食Ⅱ型」とか書いてありますし。さらに「とり飯」の使用法には、
「沸騰湯中で約25分間以上加熱すれば、通常3日間は喫食できるが、食前にあたためればさらによい。」
とか書いてあります。なんか「喫食」、「さらによい」辺りが自衛隊臭さ満開です。
市販されてるこういうやつだったら、
「食べる前に25分間以上沸騰したお湯の中で温めてください。その後3日間は食べられますが、食べる前に温めるとさらにおいしく召し上がれます。」
みたいになりますよね。
そんなこんなで被災中の食事には余り事欠かなかったんですよね。電気が止まっているときも冷凍庫の中身始末しなきゃいけないから、ハンバーグとか食べてたし。むしろ普段より豪華?
おかげでちょっと体重UPです。普段より食ってるし、何よりも動かないので。
そうして何日かたつと一部道路が復旧したという話を聞いたので、1回アパートに戻ってみることにしました。正規のルートではないので時間はかかりますが仕方ない。
途中の道路は普段なら絶対通さないだろうというくらい歪んでいました。凄い段差があったし、割れた道路にちょっとアスファルト盛ったくらいなんです。
ところがトンネル一つ越えると別世界が。ぜんぜん道路にダメージを受けてないんです。そこまで違わなくていいじゃん。ってひとりでツッコんでました。
アパートに何とか着き部屋に入ると突っ張り棚とかみんな倒れてるし、皿割れてるし、洗濯機倒れてるし、酷いもんでした。人呼んで片付け手伝ってもらいましたけど、とてもじゃないけど1日じゃ終わらないです。ただ、建物自体のダメージは余り無いようで、それだけは良かったですけど。強いて言うならドアしまらなくなったくらいですかね。
あと、ライフラインはガス以外は大丈夫だったみたいで、ガスも確認したら11月1日に復旧とのこと。
ひと段落したら3日ほど風呂に入ってなかったので、手伝ってもらった人の家にお風呂を借りてさっぱり。生き返ったぁ。
そのあと実家に帰って、11月1日にアパートのガスが復旧するまで、毎日やることもなく過ごしたのでした・・・