「大阪→鳥取→福岡→鳥取」のるーごんです。
(↑住んでいた場所の話です。)
大きな地震が起こったと、ニュースで聞くたびに、1人も犠牲者が出ないで欲しい、そう考えてしまいますが、なかなかそういうわけにはいかないのですね・・・。
昔経験した事のある地震について、既に記憶が薄れ掛けていたのですが、もっと薄れてしまわないうちにとりあえず一度記録しておこうかと思います。
とりあえず、私が経験したものについては、それほど暗い思い出ではありません。
生活に支障は・・・まあ、ありましたが。
経済的な損失も・・・ありましたが。
私が経験したことのある、ある程度大きな地震(震度5以上)は3回あります。
ひとつは、8年前、鳥取県西部地震です。
それと大学生の時に福岡で2回。(片方は余震?)
私がいた場所は福岡市南区なので、ここによると一回は5弱でもう一回は5強ですね。(記憶と若干ずれが・・・)
鳥取の方は、地震が起きたときにいた場所(米子市内)は5強で自宅は6弱ですか。(こっちも若干記憶とずれが・・・)
福岡の時は、私が住んでた地区よりもうちょっと北の方は大変だったみたいですが、私は特に支障なく過ごせました。
鳥取の時は、被災して大変な苦労をされている方々に比べたら些細な苦労ではありますが、
それなりに大変ではあったので概要を…。
鳥取県西部地震が起こったのは米子市内の高校に通っていた頃です。
私は体育の授業中で、体育館にいました。
地震が起きたのは、バレーの試合の最中で、待機中だったので入り口・・・ガラスの近くに座っていた時です。
体育館という遊園地の乗り物に乗っているような気分でした。
揺れがおさまってからも、中庭の池の水がすごい揺れ方をしていました。
その後震度6だというのを聞き、大変なことになってるんじゃないかと不安になりました。
しばらくしてから、校庭に避難させられ、しばらくの間校庭にいました。
自宅は米子市内よりも震源地に近かったので、家のことが心配になりました。
家族は無事だろうか。家は倒壊してないだろうか。
同じ町出身の友達と帰りました。
当時私は携帯電話を持っていなくて、友達が借してくれて家に電話してみましたが通じません。ますます心配でした。
自転車で帰る途中、道路にたくさんひびができているのをみました。
無事家に帰りました。
屋根が壊れたり壁が壊れたりはしていましたがとりあえず無事で、家族にも怪我はなく、家も住める状態でした。ひとまず安心しました。
(後日お墓に行ったら墓石がとんでもないことになってましたが。)
大変だったのは、水がしばらく全く出なかったこと。
幸い、庭の井戸水は出たので(とても飲み水に使えるような水ではないですが)、そこから水を汲んできてためておいて、トイレの水を流しました。
数日後、水道から泥水が出てくれるようになりました。
泥水が出るというだけでどれだけありがたく感じたか!
手を洗うにも料理にも使えなくても、レバーを引くだけでトイレの水が流せるんです。
お風呂は困りませんでした。
ありがたいことに、水が出ない地域のために、温泉などを無料で使わせてもらえたからです。
米子の皆生温泉、淀江の夢温泉、日吉津のうなばら荘に行った記憶があります。
料理、皿洗いに使う水は、米子の親戚のところから貰ってきたのが大部分。
給水車が来て、貰いにいったのもあります。
結局、数週間後には元通りの生活がおくれるようになりました。
(といっても壊れた屋根・壁や墓石を直したのはもっと後ですが)
そろそろ寝る時間なので(?)今日はここまで。
次回につづく・・・・・・・・・かな?