何となく Blog by Jitta
Microsoft .NET 考

目次

Blog 利用状況
  • 投稿数 - 761
  • 記事 - 18
  • コメント - 37043
  • トラックバック - 222
ニュース
  • IE7以前では、表示がおかしい。div の解釈に問題があるようだ。
    IE8の場合は、「互換」表示を OFF にしてください。
  • 検索エンジンで来られた方へ:
    お望みの情報は見つかりましたか? よろしければ、コメント欄にどのような情報を探していたのか、ご記入ください。
It's ME!
  • はなおか じった
  • 世界遺産の近くに住んでます。
  • Microsoft MVP for Visual Developer ASP/ASP.NET 10, 2004 - 9, 2011
広告

記事カテゴリ

書庫

日記カテゴリ

ギャラリ

その他

わんくま同盟

同郷

 

阿久根市長「腐った枝、刈らないと」 障害者の記述巡り(朝日新聞社)より:

「この間の障害者の件で、差別と言われるが、ああいう視点は私にはわからない。命は一つだと思っている。人間も動物も地球も。そういう感覚がある。なんでああいう言い方するのか。考えていくと、みなさんは生と死をわけている。今までたくさんの人が生まれて死んだおかげでみなさんがいる。みなさんもいずれ死ぬ。死と生が一体」

「社会は木を育てるようにしないといけない。木の枝の先くされば切り落とす。そうしないといけない。全体として活力ある状態に。ゆうべ、日テレで『アラームにかこまれた命』というのをやっていた。NICUで未熟児で障害児が生まれてしまった。それをどんなことしても生かす医療システムがある。のどにも胃にも穴をあけて、24時間見張る。栄養はチューブで入れる。そこで2年間。病院の扱いがひどくて、お母さんが家につれて帰る。お母さんは眠れない。2年半も。そういうことやっていいのか。それを止めるのは殺人となる。私のところに今回の件でメールがきた。こういう状態の人から。疲れて寝てしまった間に死んでしまったと。そういうのがけっこうある」

 「要は、社会をつくるということは、命の部分にふみこまないと駄目。表現としてきびしいが刈り込む作業しないと全体が死ぬ。壊死(えし)した足は切り取らないと。それで全体を生き残らせる。誰も踏み込まないから、命が失われつつある。それが今の政治、社会の現実。情緒で社会をつくることはできない」

微妙な部分なんで、踏み込んで良いのか。。。

日本国憲法を読んでみた。第3章第11条に、こうある。
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

これは、よく取り上げられる。しかし、第12条は、どうだろう?
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

何度読んでも、こう書いてある。この権利は、国民の不断の努力によって保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならない。国民は、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任がある。

大事なので、もう一度書く。国民に与えられている自由と権利は、国民の努力よって保持されなければならない。濫用してはならず、公共の福祉のために利用する責任を負う。

続いて13条には、こうある。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

よく読んで欲しい。国民の権利は、「公共の福祉に反しない限り」という但し書きが付いて、最大限に尊重される。すなわち、個人の権利より公共の福祉が優先されると、日本国憲法は定めている、といえる。

そうであるなら。“公共の福祉”とはなんだろう?「福祉」は、「国家によって国民に等しく保障されるべき安定した生活および社会環境。(明鏡国語辞典)」だそうだ。「国家によって保障される」のだそうだ。だとすると、保障される前提として、国家、または地域社会が存在していなければならない。

では。国家または地域社会の存続と、個人の権利。どちらが優先されるのだろうか。

そのように考えると、ブログ市長の言葉は、「個人の権利を守るために、市政の存続を優先します」と、当たり前のことを言っているのではなかろうか。言葉の選び方は、悪いかもしれないけど。

投稿日時 : 2010年1月28日 22:34
コメント
  • # re: 例のブログ市長
    Pasie.
    Posted @ 2010/01/28 23:40
     技術者の心理としては、諦めないからこそ様々な技術が生まれてきたのであって、その点でまずなんだかなあという感じがしました。
     そして、淘汰の理論は理解できますし正論ですしその通りだと思いますが、願わくば切り捨てられる対象は私や私の知人縁者以外の人であって欲しいと、実に利己的に思うのであります。
     ああでも原文を否定しているわけではなくて、トリアージとか特に大切だと思うので、適切な選別は必要だという認知度理解度は上がって欲しいなあとは思います。
  • # re: 例のブログ市長
    はつね
    Posted @ 2010/01/29 0:18
    NICUのことでいえば、病院の扱いがひどくならないように指導するのが行政であり、家に連れて帰らざるを得なくなったお母さんをサポートするのが(次策案ではあるかもだけれど)これまた行政サービスなんじゃないかと思う。
    障碍児であったとしても死なせたくないというのは利己的でもないし、ましてや切り捨てるべきものでもないと思う。

    火急の治療が必要でない人が行政サービスをうけていて、このNICUのようにすぎに治療すれば助かるけれど急がないという人に行政サービスが行き届いていないとすれば、それは行政サービスの正しいトリアージが行われていないといえるかもしれません。
  • # re: 例のブログ市長
    Jitta
    Posted @ 2010/01/29 23:04
    微妙なところにご意見ありがとうございます。

    > 願わくば切り捨てられる対象は私や私の知人縁者以外の人であって欲しい
     私だってそう思いますわよ(笑)
     ん~、それをね、なんていうか、批判に使うマスコミが、こう、なんか、間違ってんじゃない?と思う。あ、これがメインだった。メイン書き忘れてどうする。


    > NICUのことでいえば・・・
     ん~。行政任せ?「家に連れて帰らざるを得なくなった」のは、引用部分では「病院の扱いがひどくて」と書かれているところだと思います。でも、この、「病院の扱いがひどくて」というのが、どういうことなのか、わからないのですよ。「のどにも胃にも穴をあけて」と書かれている。これは、ひどくないのか。「チューブだらけにされているのがかわいそう」という声を聞いたことがあります。その姿を、「痛々しい」と思う人がいます。「それでも必死で生きている」と思う人もいます。どちらに思うかで、その「命」に対してどうしたいか、変わるのではないでしょうか。私たち夫婦は、「生命維持装置を付けなければ生きていられないような状態でまで、生きていたくないよね」と話し合っています。それはおそらく、我が子でも同じでしょう。
     「病院の扱いがひどい」は、お母さんが思ったことだと思います。それでは、何故、「ひどい」と思ったのか。それは、私はその番組を見ていないし、ここにも書かれていないので、わかりません。もしかすると、お母さんは「もっと手厚い看護が必要」と思っているのに看護をしてくれなかったからひどいと思ったのかもしれない。NICU に入ると、親子でも面会できません。そのことをひどいと思ったのかもしれない。だって、どの様にされているか、見れないはずですからね。少なくとも娘は、見せてもらえませんでした。おそらく、立場による見解の相違であって、第三者がひどいと評するものではないと思うのです。
     また、私は、「それを止めるのは殺人となる」のところも、気になっています。そう、生命維持装置を付けていて、それがないと生きていけないのに、止めると殺人になっちゃうんです。では、この子は、生きているのか。それとも、生かされている、あるいは生きていると装われているのか。生きている人を殺すと殺人ですが、生きていると装われている人の場合は、はたして「殺す」と表現されることになるのか。
     NICU の未熟児は、未熟児として生まれて、すぐに NICU に入れられるなら、半日と生きていられなかったと思います。では。半日で亡くなっていたとする。引用文中で「2年」「2年半」というのが同じ人のことなら、4年半、この子の両親は、この子のために時間と労力とお金をつぎ込んでいたわけです。もちろん、行政も。しかしもし、半日で亡くなっていたら。行政の負担はありません。これだけを言うなら、あまりにも薄情です。では、両親は?4年半という時間。私はこの時間、および、この後4年半を埋めるための時間が、とても、・・・どういう言葉が適切か迷いますが、そう、悲しいと思います。
     死産だったなら。未熟児として生まれたから死んだのなら。まだ、心の整理も、早くできると思います。しかし、自宅に連れてきた。そして、死なせてしまった。そう、死んだのではなく、死なせてしまったのです。これは、とても重く、整理しづらいはずです。このお母さんが、自分を責め続けたなら、やはり悲しい結果が待っているのではないでしょうか。
  • # re: 例のブログ市長
    はつね
    Posted @ 2010/02/01 22:42
    > 行政任せ?
    行政任せではなく行政指導ですね<病院の新生児への扱いが酷いの前提

    > NICU に入ると、親子でも面会できません
    そんなことはありません。
    というか全部が全部そうじゃないですよ。
    処置中でなければ両親は面会できます。いえ、むしろ積極的な面会を推奨しているところもあります。
    兄弟とか親戚はできなかったかもですが。

    > 自宅に連れてきた。
    どうして自宅につれてこざるを得なかったのか。病院の扱いがひどいからか?それとも費用負担などの問題か?詳しいことは分かりません。
    トリアージみたいなことを言っているが、手を差し伸べる順位が低い事例だったのか。そういったことは元ネタからは判断できません。
    でも、「死なせてしまった」との後悔が少しでも減るような(件数でも個々の重さでも)施策をそれぞれの立場が考えるべきであり、市長という視点であれば行政として手落ちはなかったのかどうかに言及せずにいるのはどうかなーなどと思うわけです。
  • # re: 例のブログ市長
    はつね
    Posted @ 2010/02/01 22:48
    ちなみに「アラームに囲まれた命」はオリジナルソースはラジオのようですね。
    それを日テレがとりあげたのを件の市長は見ただけなのかもしれません。

    http://www.stv.ne.jp/radio/rbanshin/search?idno=20090716181124
タイトル
名前
Url
コメント