元ネタ。
心が変われば、態度が変わる・・・ヒンズー教の教え(名言から学ぶ幸せのヒント)より:
『心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる』
類似。
歯科(なかの歯科)より:
スティーブン、R、コビーの『7つの習慣』の中に
このような格言が書かれている。
思いの種を蒔き、行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。
習慣の種を蒔き、人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を刈り取る。
人が行動するとき、思い、あるいは意思が伴います。ただし、ある刺激に対して同じ動作を続けていると、意思に関係なく体が動きます。私は、「技術」とはこういう、意思に関係なく体が動くもの(の一種)だと思っています。なので、動作の産物というより、思考の産物である情報に対して“技術”という言葉を用いることに違和感があります。行動を起こす前に意思を確認し、意識して意思と行動を一致させること、すなわち行動の伴う意思、または意思の伴う行動を、魔術と言います。どちらかというと、情報“技術”ではなく、情報“魔術”の方がしっくりくるのです。つまり、考えて、「こうさせよう」という意思でもってプログラミングし、結果を引き出すからです。が、これは別なお話。
上の引用を、意識していようがなかろうが、人は思いによって行いが行われることを知っています。そのため、人の行いを見て、その人の為人を判断します。
判断をするとき、判断を行う人の背景によって、基準が変わります。その基準を推し量ることはできても、押しつけることはできません。
「人が判断する“私”が、自分の思っているものと違う。」そんなふうに思うとき、自身の行いを振り返ってみてはいかがでしょうか。
投稿日時 : 2009年6月18日 23:02