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ネタもと:件名:画面Load時のClose処理について。(スレッドの途中に飛びます)

「数学と算数は本質的に何が違うのか」

私が問題にしているのは、言わば
「ソフトウエア言語としてのVBとその問題」
であり、「算数と数学」はその問題の本質を例示する為の手段に過ぎません。
#「算数と数学」の例なら簡単に分かって貰えると考えた訳です。

トラックバック:哲学は言葉遊びか

スレッド内で 数学と算数論のバトルがあるのですが, 対軸の方が根拠となるURLを提示されてます。

言葉を哲学体系で考えると,こういう論理になるのかな.......URL主さんには申し訳ないですが、理解不能でした。

ognacには単に【言葉を字面だけで弄繰り回して遊んでいる】としか感じませんでした。哲学要素/文学要素が欠落しているのかもしれません。

Ognacさんに同感。

さて、なぜ理解不能なのか、考えてみました。

ちと、引用としては長いが、見比べるのは面倒なので、引用。

上記の式は数学において正しいとされるでしょう。さて、ここで、具体的にしか考えられない人がいるとしましょう。具体的にしか考えられない彼は、この式をどのように考えるでしょうか。彼にそって、計算してみましょう。

まず、掛け算からです。


・掛け算:1×2=2


具体的しか考えれない彼は、上記の式を1個のリンゴが倍になって、2個になると考えるでしょう。


次に割り算です。


・割り算:1÷1/2=2


 この式を具体的にしか考えられない彼は、1個のリンゴを半分に切ると、半分のリンゴが2個できると考えるでしょう。つまり半分のリンゴが2個で、リンゴ1個分にしかなりません。


つまり、彼にとっては、

リンゴ2個=リンゴ1個

となってしまうわけです。

リンゴ2個とリンゴ1個がイコールになるという数学の考えは、具体的にしか考えられない彼には納得できるはずがありません。

私たちは日常の中で、具体的なリンゴなどと抽象的な数字を対応させて考えています。たとえば、リンゴ1個が3倍になればリンゴ3個になるというようにです。ですが、こうした計算は決して間違いないのでしょうか。私たちも知らずに、具体的にしか考えられない彼のようなことをしていないということを、証明することは可能でしょうか。

まず・・・・・・「具体的にしか考えられない」はずなのに、「1÷1/2=2」という式から「リンゴ1個を半分に切ると、半分のリンゴが2個出来る」と具体化できている、抽象的な式を具体的事象に置き換えられるほど理解している、というところが変!!

「リンゴ1個が3倍になればリンゴ3個になる」というのも、変。「3倍の大きさのリンゴになる」とも言えなくはありません。

「半分に切るだけでは1/2を解決しただけ」というところも、見逃せません。

つまり・・・・・・かけ算&わり算の理解も変!!

足し算&引き算では、作用される数、作用する数、結果の数の“単位”がすべて同じです。
「リンゴ2個にリンゴ1個を足すと、リンゴが3個になる」
ここに出てくる数はすべて、「リンゴの個数」を表しています。

ところが、かけ算&わり算では、「単位」が異なります。

「リンゴが2個ずつ盛ってあるかごが2つあると、リンゴは全部でいくつですか?」
「リンゴが6個あります。2つずつかごに盛ると、かごはいくつ必要ですか?」

このように、「かご」という、リンゴではないものが出てきます。かごを使わなくても、「リンゴの山」とか、「持っている人」という、「リンゴの個数」ではない数が出てきます。

かけ算は、単に物事を増やすのではありません。わり算で求まるのはリンゴの数ではなく、「いくつに分けられるか」なのです。ここは「リンゴ1個が3倍に増えたら、3個になる」「リンゴ1個を、半分(1/2)ずつで数えたら(÷)、2個分になる」というように具体化しなければなりません。

また、具体的にしか考えられないなら、わり算で求まった「数」に対する「単位」も同時に考えているはずで、そうすると、
「リンゴ2個とリンゴ1個が、どうして等しいのか」
ではなく、
「切っていないリンゴ2個(2個/リンゴ1個)と、半分のリンゴ2個(2個/リンゴ半分)を、どうして比較できるのか」
わかりやすくすると、
「リンゴ“2個”と、半分に切ったリンゴが盛ってある皿“2枚”を、どうして比較できるのか」
という疑問になるでしょう。

もちろん、先生に詰め寄るのは同じなのですが。

しかし、ここから、『実は算数と数学の本質的な違いを学校教育が、まったく教えてこなかったという問題点』を導くのは、ちょっと無理があると思います。

私には小学1年生の子供がいるのですが、同じ年頃のお子さんをお持ちの方は、小学校の算数の本を見てみてください。そうでない方は、思い出してみてください。

確かに、算数の最初では、おはじきの数、チューリップの本数など、具体的なものを数えます。

しかし、ある程度まで進むと、数字しか出てきません。そして、ヒントとして、ドーナッツやあめ玉の絵が描いてあります。

つまり、「数」そのものがすでに抽象的なものなので、「数」をビー玉やすずめという、具体的な事象の数を表すための抽象的な記号として理解することが出来ているわけです。

そして、抽象的な理解が出来なければ、かけ算やわり算は理解できないのです。

なぜなら、かけ算やわり算では、等号の右辺と左辺で数が表している「具体的な事象」が変わっており、数が抽象的であることを理解していないと、「なぜ比較できるのか?なにが同じなのか?」という疑問が発生するからです。

すなわち。「算数の領域」とされているかけ算わり算は、「数学の領域」とされている「関係論的概念」が無ければすでに理解できないのです。

かけ算は、単に増えるのではありません。同じ個数の組が何組か集まった後、全体を数え直した結果です。かけられる数に対してかける数がどの様に関係するのか、正しく把握していないとかけ算は出来ません。

わり算は、割られる数を割る数で等しく分配した時に、いくつに分配できるのか、ということです。割られる数と割る数の関係が正しく把握できていないと、何のための計算なのか理解できません。

存在論から関係論へのパラダイム シフトは、算数の中ですでに発生しており、算数と数学の本質的な違いとは言えません。

では、かけ算わり算が関係論的概念とされているのでしょうか?いいえ。ページの先頭で、次のように書かれています。

算数で以下の式があります。

・掛け算:1×2=2
・割り算:1÷1/2=2

したがって、1×2=1÷1/2

では、学校では「数は抽象的な概念」ということを教えていないでしょうか。

明確には、教えていません。しかし、私はここで、数を表現するときに「おはじきの数」「チューリップの本数」「ドーナッツ(の個数)」「あめ玉(の個数)」「ビー玉(の個数)」「すずめ(の匹数)」と、対象をコロコロ変えています。このように、「同じ数でも表されるものが違う」ことを示しました。こういう実体験により、「数は抽象的なものである」ということを学んでいる、といえるでしょう。

後半については、何を言いたいのか、さっぱりわからん。っつうか、後半を導くための前半が崩れたので、後半は無意味。

関係論なのは関数であって、算数と数学じゃないでしょ。→関数とは?

おそらく。自分が理解できなかったことを「存在論的概念と関係論的概念の違い」ととらえた。自分が理解できなかったのは、中学で「変数(xやy)」が出てきてからだと分析した。ここまでいい。

この後、小学校では「算数」だった教科が、中学校では「数学」となっていた。だから、「算数」と「数学」は、「存在論的概念」と「関係論的概念」が違うのだ、となった。というところか?

「主張されるもの」としているのが、x○y=zの、yだけというのが、何とも興味深い。いったい、a○b○c○d○e=fとなったら、主張されるものは何なのだろう?

おそらく、「関数」を理解できていないのだと思う。

5+2=7
は、その関係論によって、
F(5)=7
というように、概念化としての関数へと変貌します。数学においては、このF(x)という関数のFこそが主張されるのです。

多くの生徒が、こうしたF(x)関数がでてきた途端、授業についていけなくなったのではないでしょうか。私もそうでした。

F(5)=7 となる関数 F は、複数存在します。

F(x) = x + 2

F(x) = celling(x / 2) + 5
celling(x) = x より大きい最小の整数

F(x) = x + floor(x / 2)
floor(x) = x より小さい最大の整数

このように、F は +2 以外に複数存在します。したがって、『F(x)という関数のFこそが主張される』とは言えても、『”こうした計算を成立たせる2”こそが主張されているのです。』というのは、ちょっと無理があるでしょう。関数として表すなら、+2 は反って消えてしまうのですから。

そして。これ、小学校1年でも、すでにやっています。

進研ゼミの、チャレンジ1年生ってのを購入しているのですが、そこに、こんな問題が出ています。

□の中には、どんな数字が入るかな?前後の数字から規則を見つけてみよう。

 1  2  3  4  □  5  6

 2  4  6  □ 10 12 14

 1  2  4  8  □ 32 64

問題が求めているのは□に入る数ですが、その為には規則、すなわち、1番目、2番目、3番目という序数に対して作用する関数 F を求めなければなりません。いえ、正確には、1番目の2番目の間、2番目と3番目の間という序数に対する関数 F ですが。

このように、明確には「関係論」を教えていませんが、算数の段階で、体験的に学習させています。


私が小学校5年、6年の時の担任は、面白い人でした。一番印象に残っているのは、5年生最初の給食のことです。その日のおかずは、みんなが好きな焼きそばでした。3人ほどが、さっさと自分の分を食べてしまい、残っている分を欲しいだけとりました。

それを見た先生の顔色が変わりました。スッと立って3人のところへ行くと、あっという間に張り倒しました。

「おまえら、自分さえ良ければそれでええんか!?他にも欲しいもんがおるかもしれんとか、考えられへんのか!!」

それ以来、クラスでは必ず「欲しい人いますか?」と尋ね、その人数で均等に分けることになりました。

閑話休

その担任は、勉強においては皆を平等に扱いませんでした。いや。本当の平等に扱ったのかもしれません。

成績によって4つほどのランクにわけ、それぞれのランクによって与えられる宿題が異なりました。一番上のランクは『応用時代』という問題集が渡され、「好きにやっとれ」。一番下のランクは、基礎的な計算問題を徹底的にやらされました。

『応用時代』ご存じですか?応用問題だけを集めた問題集です。

数学と算数の関係って、実はこれじゃないでしょうか。

鶴亀算や電車のすれ違い、鉄橋の長さと電車の速度の関係、どれも x, y を使って解けば、すぐに解けるのです。しかし、そうしなくても解ける。そして、そうしない方が、様々な考える力を必要とされます。

文章を読み解く力、必要な数値を拾い上げる力、それぞれの数値の関係を見抜く力、そういった、基本的な力があって、それらを応用して、やっと解ける問題です。

VB の言語仕様における問題も、具体的だの抽象的だのではなく、こういうことではないでしょうか。

コンピュータによってプログラムがどのように理解され、なぜ、望みの結果をもたらしてくれるのか。

VB をはじめ、今の開発環境は、そういった基本を知らなくてもプログラムを作れ、アプリケーションとして動作してしまいます。

逆に。その開発環境でないと作れない、というような言語とバージョンに特化したプログラマを作り出してしまっています。

しかし、これは抽象的な考え方ができなければどうだという話ではありません。基礎の欠落です。

小学校での恩師は、生徒それぞれの能力を見抜き、それぞれの能力にあった勉強方法をするよう、指導してくださいました。

今、システムエンジニアに求められているのも、自分の能力にあった勉強方法を探し、実践することなのかもしれません。

投稿日時 : 2006年9月29日 23:17
コメント
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    object
    Posted @ 2006/09/30 0:47
    objectです。

    簡単にコメントします。

    最初に、
    「具象性・抽象性」は、相対的なもので絶対的なものではありません。
    #算数に於ける「数(かず)」という認識も、
    #数(かず)の概念の無い状態からすると、抽象的ではある訳です。

    それから、ここで
    「数学と算数は本質的に何が違うのか」に於ける「例」の細かい部分を問題にしています。
    しかし、これは余り意味が無いと思います。
    この例を考えた著者に聞かないと、本意は分からないと思いますが、結果として誤解を生じていると思います。
    そして、「例」は「例」に過ぎません。
    #言うならば、「例はおまけ」です。

    ここでの記述で、一番重要なのは、
    「存在論から関係論へのパラダイム シフトは、算数の中ですでに発生しており、算数と数学の本質的な違いとは言えません。」
    の部分でしょうか。

    ハッキリ言って、この記述は、
    「存在論」
    「関係論」
    の意味を完全に誤解していると私は思います。

    ポイントだけを簡単に述べると
    「文字」の使用によって、初めて「個々の存在性から自由になり、結果として関係性の記述になる」
    という事だと思います。

    ですから、
    「算数の中ですでに発生しており」
    という認識は、全くの誤解と言って良いと思います。
    #ここで、もし「小学校の高学年で文字も導入される」という人が居たら、
    #その人は「問題の本質を観ようとしていない」と思います。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    ognac
    Posted @ 2006/09/30 1:36
    ognacです。
     私の理解不能を見事に解析して頂いてありがとうございます。
    自分の思考回路を第三者から指摘されるのもいいものですね。感謝!
    思考の前提条件としての,[根拠となる単位系が矛盾しないこと]を失念していました。
    この哲学者の論理は, 数の概念と籠の概念を同一ししているのですね。だから,無意識に違和感が働いて理解不能になったんだ....納得。
    その意味で勉強不足でした。
     (*)返事を書く場所はここでいいんでしょうか.
    私のTackBackなので,私のところに書くべきなのか迷ったのですが,一般的にどちらが正解とされるのでしょうか。


    (JittaさんのPageで,述べるのも躊躇するのですが)...objectサンの反論が載っているのですが,その中で,

    >「数学と算数は本質的に何が違うのか」に於ける「例」の細かい部分を問題にしています。
    >しかし、これは余り意味が無いと思います。
    >この例を考えた著者に聞かないと、本意は分からないと思いますが、結果として誤解を生じていると思います。

    本意を理解していなくて,説得材料にするのは, 主張していることと矛盾しませんか?
     私は,頭が固くて,論理的な思考できないのですが,直感的に違和感を感じるのです。
    【たしか,自分の言葉で語れ】と主張されていたと思うのですが,.... もっと,べたな実例で話を展開していただかないと,アホな私には理解できません。
     参考にして下さい。


  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/09/30 11:19
    objectさん、コメントありがとうございます。

    > 「具象性・抽象性」は、相対的なもので絶対的なものではありません。
    そうですね。そうであるなら、算数と数学の関係も相対的なものであり、一概に「算数と数学の問題」として取り上げられるものではないでしょう。
    ちなみに最近は、私たちが「算数」として習ったもののいくつかは、「数学」として、中学まで習わないことになっていますよ。


    > 「数学と算数は本質的に何が違うのか」に於ける「例」の細かい部分を問題にしています。
    > しかし、これは余り意味が無いと思います。
    喩える:ある事物を効果的に説明するために、類似した事物を引き合いに出して言う。
    例:同類の事柄の中から、よりどころとして特に取り上げるもの。

    同類でないことを示しました。意味のないことではないでしょう。


    > ハッキリ言って、この記述は、
    > 「存在論」
    > 「関係論」
    > の意味を完全に誤解していると私は思います。
    そういう記述の仕方が、おかしいのではないでしょうか。
    これでは、「おまえ、全然理解できてへんやないか。」としかいっておらず、何が理解できていないのか、どうすれば理解できるのか、述べられていません。相手を苛立たせるだけです。


    > ポイントだけを簡単に述べると
    > 「文字」の使用によって、初めて「個々の存在性から自由になり、結果として関係性の記述になる」
    > という事だと思います。
    はい。数字はすでに、個々の存在性から自由になり、結果として関係性だけを記述しています。私はこのような言葉を使えませんが、そう書いています。
    >> 「数」そのものがすでに抽象的なものなので、具体的な事象の数を表すための抽象的な記号

    数は、算"数"の基本です。算数は、"数"がなければ成り立ちません。ですから、算数の中ですでに関係性の理解まで進んでいるはずである。違いますか。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/09/30 11:22
    ognacさん、コメントありがとうございます。

    > 私のTackBackなので,私のところに書くべきなのか迷ったのですが,一般的にどちらが正解とされるのでしょうか。
    どっちでも良いですよ。
    最初は、コメントとして書こうと思ったのですが、長くなったのでトラックバックにしました。


    あと、妻に意見を求めようとすると、
    「ちょっと待って。具体的って何?何が具体的なん?」
    と返されました。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/09/30 21:54
    >  1  2  3  4  □  5  6
    間違ってるやん!!

     1  2  3  4  □  6  7
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/09/30 22:15
    > ポイントだけを簡単に述べると
    > 「文字」の使用によって、初めて「個々の存在性から自由になり、結果として関係性の記述になる」
    > という事だと思います。
    あ、誤解していたことがわかった。「文字」=私が使ったところでの「変数」ね。

    この辺、理解していただけました?
    >>>>>
    鶴亀算や電車のすれ違い、鉄橋の長さと電車の速度の関係、どれも x, y を使って解けば、すぐに解けるのです。しかし、そうしなくても解ける。そして、そうしない方が、様々な考える力を必要とされます。

    文章を読み解く力、必要な数値を拾い上げる力、それぞれの数値の関係を見抜く力、そういった、基本的な力があって、それらを応用して、やっと解ける問題です。
    <<<<<
    あと、このブログも紹介しましょうか。
    http://satoshi.blogs.com/life/2006/08/post_4.html
    >>>>>引用>>>>>
    数年前に、当時小学5~6年だった私の上の息子に、塾から出された鶴亀算の解き方を教えた時のことを思い出した。「これは息子に方程式を使った問題の解き方を教える良い機会」と思った私は、xとyを使った鶴亀算の解き方を彼に教えてしまったのだが、それに気が付いた塾の教師に叱られてしまったのである。彼女によると、その時期に方程式を使わずにさまざまな問題を解く訓練をさせることが子供達に「考える力」をつける意味でとても重要なのだという。

     言われてみるとつくづく納得できることなので、本当に反省してしまったことを良く覚えている。確かに方程式は便利ではあるが、あまり早い時期に教えてしまうと、問題の本質を直感的に捉える力などを養う機会を逸してしまう可能性があるのだ。
    <<<<<引用終わり<<<<<
    特に関係あるところだけを引っ張ってきましたが、是非、本文すべてを読んでいただきたいと思います。
    方程式だけが、関係論ではないのです。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    はにまる
    Posted @ 2006/09/30 22:20
    最近は凄いですね勉強になります。それとも以前から@ITでは爪を隠していたんですか?

    >あと、妻に意見を求めようとすると、
    >「ちょっと待って。具体的って何?何が具体的なん?」
    >と返されました。
    面白い意見ですね。

    私も昔流行ったobject指向の議論では、具体性や抽象的という言葉にまどわされて混乱しました。

    しかし、その後に色々勉強して少しはわかりました。

    具体的も抽象的も相対的にしか存在せず、また相対的に具体的か抽象的かとう判断は、判断基準となった視座により決定される事を。

    例えばパッと横切った人を見たとき、その時に認識したことが具体的な事なのか抽象的な事なのか考えます。大概はその認識(評価)と「人」という意味を比較すれば具体的に考えたと判断でき、またその認識をより具体的に述べたり考えたり出来れば、抽象的に認識したと言えるでしょう。

    つまり最初の認識は、その後の評価により具体的でもあり抽象的でもあったといえます。


    また多く人達が同じモノを同時に見て、それぞれが認識(評価)したモノを具体的なものから順に並べろ言われたら多くの人は困るでしょう。

    もし具体的な順に並び替えたら、それは皆の具体性が配慮された並びではなく、並び替えた人の視座で具体性が決まります。これが視点の問題です。

    結局、人間が扱える具体性の関係は、個々の人間によるものでしかないと私は思っています。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    えムナウ
    Posted @ 2006/10/01 21:21
    >1  2  3  4  □  5  6
    やっぱ間違いでしたか。
    これで安心して眠れます。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    ognac
    Posted @ 2006/10/01 21:58
    ognacです。
    (存在論と関係論)..難しい概念ですね。
    ---▼(曲解なんですが,以下のように,具現化して理解してみました.)
    AとBが自然界に存在するとします。実存理由は人の意識には無関係である。
    AとBの関係を考えたとき,一定の関係式が成り立つと結論が出たとします。(数式関係に限らず,生物の因果関係も含めて)
    しかし,関係式を見つけた人の主観が幾分入ることは避けられない。
    極端に考えて極論すれば,関係式は,後付の言い訳的要素がある...
    それに関わらす, A,Bは自然体として存在し得る。
    ---▲
     うーん..この理解であってるかな?
    こういった,抽象論は卒業してから,まったく遠ざかっているので,頭が固まってます。
    鶴亀算と方程式の話は面白かったです。スレのなかで, 高校生がラプラス変換を使うことと被る気がしました。

  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    RUN
    Posted @ 2006/10/02 1:59
    はじめまして。
    画面Load時の~ の方と両方含めて読ませてもらいましたが、
    個人的雑感としては、物事を他人のセイにする為の理論武装の為に、同様の内容を引用しているだけと感じました。

    りんごの~については、算数の時はついていけたが数学になって脱落した人が脱落の原因を外的理由=算数と数学の概念の違いの説明が無いのが悪いと書いているだけだと思います。エッセイと言うことでこれはこれでよいと思いますが(※エッセイとは、真実や事実を検証する場ではなく、自分の主観を他人に見てもらいそれへの共感を求む物と解釈しています。)
    そのエッセイを引用して、だからVBを作ったMSが悪いとMSの責任にしようとしているなと思います。

    個人的にはVBのもともとの目的を考える以上、MSのVBの方向性は開発志向へのスライドという意味では間違いが有ると思いますが、基本的な裾野である、とりあえず動く物を簡単に作れるの部分には間違いがないと思います。

    そういう意味で、本来悪いのは、そういう言語を開発のメインに採用してしまう企業や、そういう言語に甘えている開発者(俗に言うVBな人?)の問題の筈なのに、全てをMSにまる投げしているだけなのではないでしょうか?
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/10/03 6:10
    はにまるさん、コメントありがとうございます。
    > それとも以前から@ITでは爪を隠していたんですか?
    きっかけ、ではないでしょうか。

    > つまり最初の認識は、その後の評価により具体的でもあり抽象的でもあったといえます。
    むむむ?!難しいです。考えます。。。



    えムナウさん、コメントありがとうございます。
    > やっぱ間違いでしたか。
    はい。2度見直してからエントリしたんですけどね。。。



    ognacさん:
    > 鶴亀算と方程式の話は面白かったです。
    小学校の授業参観で、三角関数を使ってドウタラコウタラというのがあって、それも面白かったのですが、探せませんでした。



    RUNさん、コメントありがとうございます。
    ご意見の意味を取り違えていたらごめんなさい。
    > そういう意味で、本来悪いのは、そういう言語を開発のメインに採用してしまう企業や、
    > そういう言語に甘えている開発者(俗に言うVBな人?)の問題の筈なのに、
    > 全てをMSにまる投げしているだけなのではないでしょうか?
    ん~。。。@IT での objectさんの主張は、単純な「MS に問題有り」ではないと思っています。
    RUNさんがおっしゃるとおり、『MSのVBの方向性は開発志向へのスライドという意味では間違いが有る』とした上で、
    「言語仕様を牛耳っているのは MS だ。だから、MS なら何とか出来るはずだ。商業主義に走ってないで、何とかしろ」ということだと認識しています。
    それに対して、私は、「元々、簡単に作れることが目的なのだし、そういうことが必要な(開発者でない)ユーザもいるんだから、今のままでいいやん」です。
    VB のユーザが、開発者しかいないなら、私も objectさんと同意見になります。
    →ご参考 http://blogs.wankuma.com/episteme/archive/2006/09/28/39880.aspx
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    RUN
    Posted @ 2006/10/04 1:27
    Jittaさん、後返文有難うございます。
    前回の自分の意見は
    もともとの掲示板の内容を全て目を通した結果として、
    “商業主義に走ってないで、何とかしろ”
    の部分が自分の目には丸投げに移りました。

    MSがVBしか作っていないのならば、或いはその考えも有りなのかも知れませんが、MSは“とりあえず動く”を目的としない別の開発言語も作っている訳で…。

    これはMSを擁護しようと言う意味ではない事だけ取り合えず自分の立場として宣言しておきます。

    当方、昔は68Kアセンブラをいじっていたもので、
    その当時の自分の感覚としては、VBのようなおもちゃがまさか開発現場を席巻する事になろうとは予想しておりませんでした。
    個人的に、今あふれているVB開発現場の多さには多少憤りも感じているもので。

    かなり長いブランクを経て、現在VBプログラマーをやっておりますが、VBな人と言われる様なタイプの人の多さは多少なりとも解っているつもりでも居ります。

    VBプログラマーをやってて言うのもなんですが、
    VBをもっと強い縛りをかけて、技術者の為の言語にしろと言う言い分は、自分には、ファミリーベーシックやサターンベーシック(両方ともネタ的に古いな(汗))を、商業開発言語にしろと言っているのと大差なく感じてしまうのです。

    最後に、自分が言っていた“本来悪い~”の部分は、
    ognacさんの言う所の“電算室の~”の話にあるような、企業の人材育成へのスタンスとそれに対する職業プログラマーな人のプログラムへの取り組み方を言っていたつもりです。
  • # 「ソフトウエア言語としてのVBとその問題」の整理
    object
    Posted @ 2006/10/04 12:19

    objectです。

    Jittaさん、最も大きな部分では、
    「私の思い」
    をかなり理解して頂いている様です。
    少し補足すると、
    「言語仕様を牛耳っている」⇒「VBの所有者はMS」
    「だから、MS なら何とか出来るはずだ」⇒「だから、MSは逃げられない筈だ」
    という事です。

    次に、
    私に対するレスが有りますが、現在の所、誤解に基づくものが殆どだと考えています。
    従って、誤解を少しでも解くべく、全体の状況を少し簡単に整理します。
    #問題点の認識とその流れを細かい解説無しで、略記します。
    #流れの順序には、意味を持たせている積りです。

    ・専門家向けの言語に飛びついた開発者にも、そしてそこから脱出しようとしない開発者にこそ、問題がある。
    ・「現状の放置・棲み分け」⇒「VBだけしか知らないユーザーを切る事」になる。

    ・「VB」から脱出しなければならない⇒「VBで育った人は、VBを使うべきではない」
    ・「VB」から脱出しなければならない⇒「VBだけで育った人は、VBにもっとも相応しい」と何故ならないのか?

    ・これは「VB」自体の何処かに「内部矛盾」がある事を示している。

    ・「VB」ユーザーに起きてる問題は特に顕著 ⇒「VB」の所有者である「MS」は何をすべきか?
    ・「VB自体にある内部矛盾とは何か」⇒
       私が考えた問題点:「言語として、抽象化とその意識化の欠如」≒「学校での算数と数学に於ける問題」

    ここでのキーワードを挙げるとすると、
    第1キーワード:「抽象化、意識化」
    第2キーワード:「数学と算数」
    #「VB」の問題に直結するのが「抽象化とその意識化」の問題。
    #そして、それは「数学と算数」の間にも内在している。

    キーワード:「数学と算数」
    1)「数学と算数は本質的に何が違うのか」⇒ 既に例として挙げた
    http://www6.plala.or.jp/swansong/2/essey0019.html
    2)「算数と数学」…………………………………………………… (2)
    http://www.k3.dion.ne.jp/~lability/C6_2.htm
    3)「算数と数学の間」……………………………………………… (3)
    http://www2.ocn.ne.jp/~countabl/math/math2.html

    キーワード:「抽象化、意識化」
    1)「人間的自然の理性化」から「数学の人間的自然化」へ … (4)
    http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/ningenka.shtml

    ここに挙げた検索結果の(2),(3),(4)にも、是非一度目を通して頂きたいと思います。
    #勿論、全ての面に於いて、私が同じ考えである訳ではありませんが、
    #皆さんとの議論を通して、ここ迄の議論(特に3、4)をする事は、先ず不可能だと思います。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    きくちゃん
    Posted @ 2006/10/04 21:20
    おじゃまします。

    私は「VB と C#」の関係を「数学と算数」の関係に擬えて考える事が出来ません。
    当初は、どなたかが述べていたように教科としての「数学と算数」の違い程度にしか認識してませんでしたし。つまり、単に小学校で習うのが算数、中学高校で習うのが数学、といった程度の認識です( Wikipedia の記事→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6_%28%E6%95%99%E7%A7%91%29 )。
    まあ、それならまだ、「そういう見方も出来るか」程度に理解する事は出来ました。共感はしませんでしたが。

    しかし、『君たちは「算数と数学」について理解が足りない』と仰る。いろいろと参考となりそうなドキュメントを指し示しても下さる。
    でも正直なところ「数学と算数」の話なんてどうでも良いんですよね。別に普段から興味を持っているわけでもないし。
    自分にとって「どうでも良いもの」と、飯の種というか商売道具というか、つまり「どうでも良くないもの」とを重ね合わせて考えたところで、ピンと来るわけがありませんよ。

    #ちなみに今年、どこかが出版した高校数学の教科書に、マンガが多用されていて内容的にはほとんど「算数」、ってのがあったみたいですね。

    さて、VB だとか C# だとかを強いて何かに喩えるなら、やっぱり同じ「道具」なんじゃないですかね。プロのドライバーにとっての自動車とか、プロのカメラマンにとってのカメラとか。
    以前は、プロが使う道具に「オートマチック」なんてあり得なかったけど、「オートマチック」でも「マニュアル」並みに細かい制御が可能になってきたりして、最近は「オートマチック」をお仕事で使う人も少なくないんですよね。

    #というか、タクシーもバスも、今じゃ殆どオートマなんじゃないかな?

    そうそう、もう一言だけ。
    VB2005 で復活したVB6的要素、せめてコンパイラが警告だけでも出してくれるようになると良いんですけどね。
    「この書き方は可能だけれど推奨されません。互換性維持の為にだけ存在します」みたいな。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    RUN
    Posted @ 2006/10/05 1:53
    >objectさん
    (2)(3)(4)については、(1)と違い説得力の有る説明の有る物だと思います。
    が、しかし、この(2)(3)(4)がどの様に、ネタもとのスレッドでの貴方の主張を根拠付けるのでしょうか?

    引用と言うのは、説得力の有る文章に対しリンクの引っ張ればよいと言う物ではないと思います。

    引用した物が自分の主張をどの様に関係が有るのかを自分の言葉で説明を付ける事で初めて意味のある引用になると思います。
    この自分の言葉でと言う部分は、ネタ元のスレッドでも指摘されていたと思いますが、如何でしょうか?

    自分の主張との関連付けを出来ないのであれば、それは引用者自信が引用した文章を理解できていないのでは?と思います。

    >#皆さんとの議論を通して、ここ迄の議論(特に3、4)をする事は、先ず不可能だと思います。
    については、何を持ってそう判断されたのでしょう?
    相手と議論をするつもりがあるのであれば、理由も明示せずに、一方的に不可能だと切り捨てる事は、ただの主張のいい逃げではないでしょうか?

    少なくとも自分には、Jittaさんがココのコメントで引用しているブログ
    http://satoshi.blogs.com/life/2006/08/post_4.html
    と貴方が引用した(4)
    http://www.rd.mmtr.or.jp/~bunryu/ningenka.shtml
    の2点については、本質的な部分で同じ事が書かれていると思うのですが、それを理解した上で議論は不可能と考えられているのでしょうか?

    VBとMSと言う小さい視野の中で全てを片付けようとせずに、ユーザーと企業とVBとMSと言う視野を展開した上で、考える事とは?と言う事に関連を持たせるとまた、別の物が見えてくるのではと思います
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/10/05 6:18
    RUNさん、補足ありがとうございます。
     これは objectさんの弁護ですが、例えば 2006-09-16 01:15 に
    > 数の性質・各種演算法則等(分配、和・積の逆元に関わる)を抜きにして、計算の仕方だけを教え、
    > 「代数の公式等、形式的なものを、小学校を含め制限無しで使う」という事
    > が、「簡単・便利・生産性」を理由に許される事だと思いますか?
    とあります。このあと、「数学と算数の違いは、具体性と抽象性の問題だ」などと続くので混乱しますが、ここだけを注意深く読むと、『そういう言語を開発のメインに採用してしまう企業や、そういう言語に甘えている開発者(俗に言うVBな人?)の問題』に繋がってくると思うのです。
    とくに、2006-09-18 11:49 では、
    > そして、現時点で最も重要な事は、
    > 「MSがどう対処するか」より、当事者が「具体的にどう動くか」
    > だと思います。
    > #人は、自分の状態に対しては、最終的に自分が責任を取るしかありませんから。
    とも、書かれていますので。

     流れとして読むと、RUNさんの仰るとおりで、私もそう理解していたのですが、個々の投稿だけを注目すると、別の意見が見えてくるような気がします。
    あるいは、同じ問題を、見る角度、光の当て方を変えてみているのかもしれません。円錐は、見る場所、光の当て方によって、円に見えたり三角形に見えたりします。同じものを、別々の表現が出来てしまいます。
    これを「同じもの」と認識するためには、双方が自分の見方を明らかにして、互いに見方を入れ替えてみる必要があると思います。
    objectさんの場合、相手の見方に立ってみる、自分の見方を明らかにする、ということをされていないと思います。
    明らかにされていない見方を想像して、その見方に立つ。それが、しんどいんだけど、わかってもらえなかったみたいで(フゥ
    ↑↑
    objectさんのレスを見る前に書いたとです
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    Jitta
    Posted @ 2006/10/05 19:56
    TO objectさん
    > 最も大きな部分では、「私の思い」をかなり理解して頂いている様です。
    ええ、かなりしんどい思いをしていますよ。
    このエントリを作るために、何度も読み返して、途中で「やっぱり同じことを問題としているかも」と思いながら、最初の理解で押し進めました。
    どうしてしんどいかは、2006/10/05 6:18 に書いたように、「明らかにされていない見方を想像して、その見方に立つ」のが、しんどいのです。
     で、これに対する objectさんのこたえが、「しかし、理解して頂けないからと言って、自分が納得出来ない表現を使うつもりはありません。」ってことだと思います。
    しかし、私はそれは「自分が理解できていない」からだと思います。あるいは、「理解が整理されていない」と言ってもいいかも。

     ある人に、このようなことを言われました。
    「わかっていると、理解しているは違う。理解していると、説明できるは違う。説明できると、教えることができるは違う。」
    理解はしているけれど、説明できるまで、自分の中にとけ込んでいないのではないでしょうか。
    あちこちで「守破離」という言葉が取り上げられています。
    http://www.google.com/search?rls=ja&q=%E5%AE%88%E7%A0%B4%E9%9B%A2
    「守」の次に、進めていない。あるいは。そこに留まるをよしとされているのではないでしょうか。


    で、本題。
    > ・専門家向けの言語に飛びついた開発者にも、そしてそこから脱出しようとしない開発者にこそ、問題がある。
    これは同意。さらに、奨励した会社(MS じゃなく、開発会社)にも問題有り。

    > ・「現状の放置・棲み分け」⇒「VBだけしか知らないユーザーを切る事」になる。
    これは、そうは思わない。
    あるいは、「切る」とは、どこから切り離すのでしょうか?
    また逆に、何とかするとすると、何とかしてもらう必要がないユーザ、すなわちプロフェッショナル ユーザを切ることになるのではないでしょうか。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    RUN
    Posted @ 2006/10/06 0:00
    Jittaさん
    説明有難うございます。
    この件に関しては、(ココのコメントで紹介されてるURL含め)一通り目を通していたつもりなんですが、流れで読みすぎて細かな部分を押さえ切れていなかったようで、お恥ずかしいです。

    VBな人と開発会社の問題を最重要とした上でMSの出来ることと考えを進めていくと、
    VBのエディションによる調整が限界ではないかと思います。

    jittaさんの言う所のプロフェッショナルユーザーを切り離す事はVBの前提としてありえないと思うので、
    デベロップエディション、プロフェッショナルエディション(名前は適当に付けました)として、
    機能内容は変えずに、Option Script等の初期設定をがちがちに固めた物をデベロップ、枷を殆ど入れていない状態の物をプロフェッショナルとするような調整。

    後は、MSDN等の外堀の強化ですかね。
    なんにしても、最後は学ぶ者次第と言う結論しか自分には思いつきませんでした。
  • # re: Re:哲学は言葉遊びか
    ognac
    Posted @ 2006/10/06 1:16
    ognacです。
    私も自分の考えを問い詰める良い機会になりました。
    頭の中には漠然とした3種類の開発者の区別があります。
    1. 職業プログラマ1:プロ(職人) : SE=PROGRAMER=何でも屋
    2. 職業プログラマ2:サラリーマン技師: 電算室向きの人
    3. 非職業プログラマ: 専門の分野でシステム化する人

    私が,問題視しているのを突き詰めると 2.の人が 1.に移動した際の心構えの問題だと,今更ながら気付きました。
    すっきりしました。
     [責任は本人の自助努力以外に無い]という意識は変わりません。


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