ネタ元
ここ
ここ
ここ
ここ
これらを読んでいると、ふと文字文化とは何だと思ってしまいました。
その昔、ローマ字論というのがあり、明治期に西周氏が唱えたとされます。第二次世界大戦後もGHQが唱えたとも言われます。
共通する根拠は、覚える字の種類が多くて、西洋人に比して不利だというのです。
これらは、幸せなことに、否定されました。
ところが、類似の発想で、覚える字数は少ないほうがよいという考えから、教育漢字と当用漢字、常用漢字を制限し、姓名漢字まで設定されてしまいました。 漢字文化は貧弱なものになってしまいました。
彼らの言うように、覚える字数が多いのは不利なのでしょうか。西洋文化と日本文化は質が異なりますが、レベル差はないでしょう。ということは、有利・不利はないとみて良いでしょう。
ベトナムのように、漢字を廃止することは、制度としては可能でしょうが、幸せになるか、不幸になるかは、不明です。
韓国でもハングル一色にはならず、漢字が残っているのに、ベトナムでは漢字は消滅したと聞くので、よほど勢いがあったのだと思うのです。
舶来至上主義で自分を卑下する思いから、自国の文化を否定するのは、視野が狭いです。
元号がローカル仕様だと言われますが、画面上や帳票上に見える部分だけ、元号化すれば良く、システム上は西暦で持つでしょう。ということは、通貨を3桁区切りに編集するのとなんら差違はありません。
123456=> \123,456 2008/12/17 => 皇紀2668年12月17日 (2月11日を 1月1日にできれば、もっといいでしょうがが....)
言葉の読み書きは、慣れでしかないと思うのです。どこの国の子でも就学年になれば、自国語を読み書きできるし、日本で生まれた、外人も、ネイティブに読み書きができます。
「難しいから教えるのは可哀想」=>「ゆとり教育推進」 の結果がこの有様でしょう。
「教えて貰ってないから、できません」と発言する開発者をみると、どうかと思うのです。
慣れといえば、戦前は、カタカナ表記で旧仮名遣いでした。我々には読み辛い文面ですが、私達戦前派ははスラスラ読めます。そんなものです。
ついでに、
戦前は、「文字は右から書いていた」と言われますが、そんなことはなく、普通の横書き書籍は、左から書いてました。右から書くのは、一行看板や広告類だけです。
理由は、縦書きは、右から左ですね。縦書きの縦の文字数が1文字になった状態なので、右から書いているように見えるだけです。
秀丸も縦書き対応になったことだし、「少数派文化を堅持する」なんて意気込みでなく、身近な習慣を維持すれば良いのでは?