Jittaさまのコピペの悪
Mr.Tさまの未来のプログラムにかかわる君たち
がネタ元。
私は合理性を大事にしますから、今の自分が身につけている技能を他の人が身につけるのだとした場合、
自分がした苦労よりも少ない苦労で身につけられればよいな、と考えます。
しかし、重要なのは「身につける」という部分。体験抜きに知識だけ詰め込んでも身につかないんですよね。
特に、失敗というのは重要で、失敗の経験から学ぶことは何より大きい。
かといって大きな失敗を体験するなんて容易にできません。
小さな失敗を早い時期に体験することが一番効率的なのではないかと思うのです。
今の時代、すでに先達の偉人が書く方面の道を切り開いてくれています。
ですから、我々は道を切り開くほどの苦労もせず、
若くして効率よく知識・技能を身につけられるようになりました。
しかし、知識ばかりが早々に手に出来るようになったことで、経験の方が追いついていないのではないでしょうか。
頭でっかちになってしまっていて、知識を体験を通じて消化することが出来ていない…。
知識として仕入れていても実際にやってみるといろいろな苦労があり、一筋縄ではいきません。
実行するに当たってはさまざまなノウハウが必要になってきます。
こういった体験によって知識が技能に昇華するのだと思います。
後輩いじめのような伝統なんていらない
中学・高校あたりの部活動における後輩いじめの伝統というものがあったりもします。
場合によっては洗礼と表現されることもあるでしょう。
しかし、私はこれはくだらないことだと思います。
自分が受けた苦痛を、人に課すことで憂さ晴らしするわけですが、対象が苦痛を与えた相手(つまるところ先輩)ではなく、
別の相手(後輩)であるところから、この連鎖は延々と続くことになります。
直接的な後輩いじめではないにせよ、俺も苦労したんだからお前も苦労しろ、というのは
人情的には理解できるものの、不合理な、あまり必要ではない事項だと思います。
こういう感情的な理由による「苦労しろ」は排除して考える必要があると思っています。
体験に基づかないもののチープさ
例えば漫画にしろ小説にしろ、自分の体験をもとに書くのと、漫画を見て感じた疑似体験をもとに書くのでは深みが全然違う。
バーチャルをもとにバーチャルを作っても劣化コピーにしかならない。
出来上がった代物はなんともいえないチープさがあって、ときに嘲笑的な笑いを誘うことさえあるでしょう。
何かを表現したければ、まずは体験することから入らないといけない、と私は考えます。
プログラムというと、ことバーチャルの世界に埋没しがちですが、リアルでの体験を大事にしたい。
システム設計のとき、使い心地をリアルに想像するには、そのような業務を体験するのが一番です。
又聞きの要望からシステムを設計してもどこかしっくり来ないシステムにしかならないのではないか―。
コーディングルールのようなものであっても、そのルールがないがための苦痛を知っていると、
そのルールの目的を正しく把握できるのです。目的があって手段がある。
しかし、その過程を理解できない場合、手段であるルールを固持して目的を失ったりするわけです。
あるいは目的を知らないがためにルールを軽視して失敗する。
体験抜きには危うさをリアルに想像できない。そういうものだと思います。
いまどきは過保護が過ぎる気がしてなりません。
失敗こそ、早いうちに小さく済ませてしまうことが理想的に思えるのです。
投稿日時 : 2007年9月29日 11:55