言葉なんて時代の流れに応じて変わっていくもの…昔の文献が読めなくなっていくのも自然なこと…
って楽観してもいられなかったりするんですけどねっ!
今でも、正字・正かなを愛用している方はいる。
どういうものかといふと、かういふつづりのことである(←適当)。
彼らに言わせると、正字・正かなのほうが合理的なんだそうだ。
何故、そのような主張がなされるかといえば、今我々が使っている「新字・現代仮名遣い」が制定された経緯が、実に横暴なものだったからである。
昔は「当用漢字表」なんてものがあったが、この名前の意味は「(漢字廃止までの間)当面の間用いる漢字表」という意味であり、漢字廃止を前提として制定されたものだったりする。
また、「常用漢字表」というのもあったが、この表に収録された漢字は略字が作られ、収録されなかった、俗に言う「表外字」は、今でも多くが当時の正字体を使っているという事実もある。
その常用漢字表の中でさえ、同じ部首が違う形に略されるなど、意味の一貫性を欠いたものがあったりもした。
幕末から明治を経て戦後に至るまで、「漢字制限論」「漢字廃止論」というものは根強く存在した。
曰く「日本は中国など及ばぬ強国になったというのに、中国由来の漢字を使い続けることは屈辱だ」とか「漢字はアルファベットより難しいため習得に時間がかかり、日本の近代化の著しい阻害となる」とか、今にして思えば「何言ってんだコイツ?」というような理屈が真剣にまかり通っていた時代があったのである。
そんなこんなで、今の新字・現代仮名に不合理な点があることは認めざるを得ない。
しかしながら、「正字・正かなの復権を!」というのには問題がある。
昔の文化を保存し、知り、受け継ぐのは大切なことだけれど、これを日常的に使うというわけにはいかない。
成立の経緯がいかに横暴であれ、新字・現代仮名は既に広く定着し、使われているからである。
まぁ、今からラディカルな国語改革が行われることはたぶん無いだろうから、とりあえず現状維持でいいんじゃないかとは思うが。
また、では、正字・正かなは非の打ちどころがないかと言うと、そういうわけでもない。
探せば非合理なところはいくらでも挙げられるだろう。
ことは日常的に使う言葉の問題である以上、「合理・非合理」だけで判断できる問題でもないし、「合理的な方に変えていけばいい」という問題でもない。それがまかり通るなら、正字正かなでも新字現代仮名でもない「新しい第三書法」を提案してしまいたいところなのだが、そんなことをすれば、混乱がより大きくなるのは必至である。
また、歴史上あったように、個人の思想が多分に介入してきた分野でもある。
あ、俺は、正字正かなには別に興味はない。ま、好きな人はやってればいいんじゃない? ということで。
#ちなみに、俺の死んだ婆さんの名前は「てふ」という。