元ネタ:επιστημηさんの記事 ここ
厚生省幹部事件犯と学友(?) だったとか、住まいが近所だとか記事やコメントにあります。
メンバーやコメント投稿者数は100のオーダーでしょうから知り合いである確率は低そうに見えますが、友達を数代辿ると全世界をカバーできるという話もあるので、起こりえるのかなぁとも思えます。偶然といってよいのか否かはわかりません。
「偶然」を少し考えてみました。私の体験した最大の偶然は、社会人2年生の夏休みに、友人とフィリピンのマニラに行った時の事。バンブーダンスのディナーショーで食事をしていた時、見慣れた顔が数人、会場に入ってきました。よく見ると、会社の幹部4人組みでした。相手もびっくりした模様で、互いに 「なんでここにいてるんだ。」と叫び合いました。
会社の幹部のインセンティブ旅行だったようです。もちろん私達二、三年生の知らない事です。こんなことってあるんですね。
日常生活でも、 何十年ぶりかの友人に、偶々乗った電車で出会ったという話は良く聞きます。
繁華街で雑踏のなかで、滅多に会わない人に会ったりします。
私ごときがワンクマメンバーに加えて貰っていたり、Blogで発言させて頂いているのも「巡り合わせ」とも「成り行き」とも言えます。参加したいと思った時期と環境がずれていたら、入ってなかったでしょうし。
これらの事例も「偶然」はなく「巡り合わせ」といえそうです。
では、「巡り合わせ」は誰かが演出しているのでは? という疑問が沸くのです。
宗教家なら、神や仏の御導きというかも知れません。私は「俗にいう宗教上の神」は信じてません。しかし、「巡り合わせ」を演出している「大いなる主」の存在は信じてます。
それが、神なのか仏なのか、アッラーなのかキリストなのかは不問ですし、無関係だと思うのです。
「袖すれ違うのも他生の縁」を信じます。人との出会いも大切にしたいものです。
嫌な目にあうのも、栄養素の一つです。
一方で、運の良い人や悪い人は、います。同じことをしても、うまく行く人と行かない人がいます。その人の性格や人柄なども、巡り合い要因の一つでしょう。
地域と時代がずれて生まれたために、不遇の目に遭う悲運な人もいます。しかし、現世の価値判断から見るから運の無い人に評価されるのであって、大局的には有意義な役回りの人かもしれません。人は不完全だから、良き面が見えないだけかも知れません。
(現世の基準で)理不尽な酷い目に会う人や、理不尽に好待遇の人もいます。平等というのは永遠の課題で、到達しないものかも知れません。しかし、近づく努力は必要です。
現世の今の意識下で、行動しているのだから、今をベターに生きるのが、人の道だと考えます。
私の好きな言葉に
「神を信じなくてもよい。神に信じられる人になれ」「神は超えられる試練しか与えない。」
があります。実経験上、事実だと確信してます。
ギスギス度が加速し、不愉快な人や事件が多発する世を憂いて、不安になります。「巡り会い」を演出してくれる「主」に背いてなるものぞ.......... (*) 決して新興宗教を起こそうとはしてませんのでご安心を。
(*)追記
マーフィー則も、そう思えるだけで、有意差なしとされています。
血液型云々は意味が無いのは立証できるのでしょうが、納得できるマーフィ則はありそうな気がします。
私はのマーフィ則に「職場で1回目に行くトイレは、清掃中で入れない」があります。
複数の現場でそうでした。勤務階が変わってもそうでした。
この手の話は、UFOやネッシーのように白黒付けるより、未解決のまま放置するほうが楽しいですね。