>奴の言うことは本当に正しいんでしょうかね? (略)嘘八百かもしれないわけですが、 どう確認しますか?
頂いたコメントで、宿題を頂きました。(勝手に宿題にしてますが) ここ
確認可能の前提条件は、正しいか嘘かを判定する普遍的基準があるということですよね。
普遍的基準がはっきりできる人どれくらいいるのでしょう。わかりませんが。
コンピュータは電気で動く。クーラーは電気で動く。車はエンジンかモータで動く。このことは現時点では正しい。
海水はそのままで飲料水として飲める。これは、現在の人類に対しては嘘です。
正しいとした、文も現在時点という条件下で正しいだけで、時代が変われば、嘘になり得ます。
現代人の腕は二本あり、脳は1カ所である。というのは正しい。 人の腕は、取れたら生えてくる。これは嘘です。
これらは、同種の生物である以上、普遍的に正しいでしょう。正嘘の判定は尽きます。
しかし、体験したことが正しいとも断言出来ない事柄も多いです。食肉偽造を見抜く味覚もありません。
マジックやイリュージョン、詐欺も錯覚をうまく使った行為でしょう。引っかかった人は、その瞬間では正しいと信じた訳ですよね。(詐欺を肯定しているのではありません)。詐欺に引っかかる方も非が有るかと思うのですが別問題なので、問いません。
虚実確認の基準となりそうな項目を列挙してみると
・書物等の資料
・マスコミなど著名人の発言
・権威者の発言
・経験則で判断
・実経験し体得した事案
・学校などで、先人が公言していたことの刷り込み
・地域、国などの風習
・培われた道徳観、人生観、思想観
・短期的視点に立つか、長期的視点に立つか
・広い視野に立つか、狭い視野に立つか
・私優先か公優先か
・社会体制の理想観
・満足者が80%で不満者が20%の社会
・95%の人が少し不満に感じている社会
・富を共有するか貧しさを共有するか
・旨いか不味いか/好きか嫌いか/受けるか受けないか/面白いか面白くないか
・その他
これらの要素をベースにして、虚実の判断をしていると思うのです。したがって、一人一人判断基準は異なってきます。
ゴミ箱を椅子だと言えば嘘になるか、 他人の机に近寄って雑談する人のなかには、ゴミ箱を椅子にして座り込み人がいます。
その人にとっては「ゴミ箱を椅子」は正しいことになります。
相対的な部分もあります。
事実や主張の虚実の判定は、根拠となる資料の信憑性に依存せざるを得ないでしょう。
資料では、書かれている事があったと解りますが、書かれていないことが「なかった」ことにはなりません。
書かれた当時、日常的且つ常識だった事は書かれていないと見なせるでしょう。
一級資料、二級資料のように、資料を格付けしているよですが、資料を作成した意図を読まないと、文言通り信じることもできません。
「歴史は勝者が作る」と言われるように、前政権のことは悪し様に評価するものでしょう。自らを正当化した資料の評価も難しいものだと思います。
「アポロ11号は月に行っていない」説は昔からあります。これは行ったのでしょう。
「日中戦争で南京大虐殺が行われた」「従軍慰安婦問題」など、近年取りだたされています。これらは胡散臭い部分がありますが、真実は不明です。私は嘘と断言できる根拠は持ち合わせていません。無かったと見てますが。
高々、過去60年の出来事ですら、事実が解らなくなっています。
声高々に叫んでいる間に、賛同者が現れて、既成事実かしていくのでしょう。
活字や権威に弱い面もありますね。あの人が言っていた。あの出版社の本に書いてあった。と盲信する人もいます。
新聞に書いてあったといわれて、よく見ると、企業広告だったりします。
新聞社は新聞の広告内容に関してはノーチェックで無責任であるのは、法的には無問題でしょうが、引っかかるものがあります。
間違っていることでも、活字になって製本さていれば、真実と受け取る方がいます。
事実でも、手書きだと、要らぬ疑いを抱いたりします。 「とんでも本」でも真に受ける人もいます。歴史小説のストーリーを事実だと錯覚する人もいます。
雑学本の類も真偽の検証が必要で、鵜呑みにするのは危険です。
辞書や辞典も執筆者の思想が入ります。
個人見解ですが、進歩的文化人と称されの出版社から出ている辞典が「権威ある辞典」とされるのが不思議です。一種の権威崇拝かもしれません。
「戦後、潔癖な判事が闇米を食べずに死んだ」とか「高尚な僧が癌を告知されて、自殺した」とか言われてますか、真偽は不明です。
結局、事実は確認不可能なことが多いので、発信所や発信人を信頼するか否かで決めるしかなく、且つ自分が納得するかしないかで決めているのでしょうね。
それ故に、ブランドや暖簾の価値はそこにあるのでしょう。ブランドを汚す行為は自滅です。
マスコミの取り上げ方や表現方法でも真偽の受け取りかたが違うのでしょうね。数字がらみのときは、作為を感じる時があります。
癌の死亡率が高い.....他の病気が克服されたので相対的に増えた
少年犯罪が凶悪化.....犯罪件数は減っている。昔の猟奇的犯罪は全国的には知られなかったらしい。
交通事故死6000人.....24時間以内が対象なので、実数不明.
自殺者30000人の個別報道がなされないので、自殺者問題が表面化しにくい
メタボは危険.........メタボ政策が間違っているとの意見が表面化しにくい。
あれ。なんか違う方向に流れているなぁ..
「賢人は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、真偽の判定は、経験判断が第一に来ると思うのです。もちろん、間違うことも含めて。
「歴史に学ぶ」ためには、歴史的背景と歴史書の書かれた背景を知らないと、安易に判断すると間違います、歴史的事実は体験不可能なので、メディアや活字経由の知識の域をでません。
年配者の話も貴重なのですが、主観が入ることを前提にしないといけないです。
Wikipediaなどの.net情報も、'この記事の正確さについては疑問が提出されています。 'と警告でている頁があります。この警告の基準と判定の仕組みは知らないのですが、意図的操作の入り込む余地がありそうです。
結局、自分の経験と、ブランドで判断するしかないのかなぁ。