偽装に関連した業界の裏事情のエントリーを読む度に、もはや情けないとか反正義などと言っている次元で無いと感じます。
数年前、西宮の保冷倉庫での詰め替え詐欺、不二家、雪印、ミートホープ...発覚したから犯罪社(者)になりましたが、発覚しないで現在も詐欺行為を継続している会社は一杯在るんだろうなと考えてしまいます。
民主主義は多数決なのですが、多数決がイコール正しいとは限りません。ヒトラーを生んだのは大衆ですし。ブッシュを選んだのも大衆で、米国の銃社会を支えているのも大衆です。
多数決には「赤信号みんなで渡れば怖くない」の怖さが潜んでいます。「みんながしているから私もして良い」にはならないでしょう。話が大仰になりました。
なぜ偽装するのか。目の前の仕事でより多く儲けようという思いであろう。資本主義を拝金主義だと誤認している亡者どもであろう。
資本主義における金銭は道具であり、金銭は社会に再配分されてこそ意味を持ちます。社会全体を幸福に導く過程の道具にすぎないのに、金銭が目的になっているんでしょうね。
仕事とは作業の結果の成果物に社会的役割を与えることだと思います。社会的役割のない成果物は単なる無駄な作業でしかありません。無駄な作業で儲けようとする輩が多すぎますね。
年金問題も同様な事が言えると思います。年金事務の仕事は国民一人一人に還元されて完成するのに、データ入力という作業だけしか認識してないから、オザナリな好い加減な作業で済ました結果がこの有様ですね。
我々開発者もプログラムという作業を通してシステムという仕事をしています。プログラムという作業だけしかに目が行かないと、品質は低下しても向上することは無いでしょう。
作業しか目に入らなければ、サボりや手抜きで局所的に楽をしようとする労働者を量産する事になります。作業テクニックよりも社会(システム)を作るんだという事を自覚させるのも人教育の第一歩だと思うのです。
奇麗事を幾ら述べても現実は不正で儲けている輩が回りにいるんだろうなぁ....ああ無常。