うん、似合わない。自分でもそう思う。
私の特性を活かして、就業支援のような大人向けの活動もありますが、多くは子どもと関わるようなものが多いです。人のために何かするのは好きだからか、意外と楽しめてやれています。無報酬なのにですよ。これは自分でもびっくりです。
対象は「診断を受けた子ども」「施設の子ども」「ひとり親の子ども」が多いです。具体的には、団体企画のゴミ拾い、日帰りの旅行 (バス移動) に連れていくことなんかから始まり、そこで仲良くなった子どもたちとは、習い事や、参観日や運動会といった学校行事に親代わりとして参加しています。最初はたどたどしく、少し顔を見せる程度でしたが、子どもたちから『いっしょにやろうよ』と言われて、がっつり普通の親と同じレベルで参加しています。
個人的にうれしかったのが、親子参加の百人一首での出来事でした。同級生の男の子が『この人がお父さんなの?』と指摘された時、すかさず『わたしのパパだよ』と言ってくれたことでした。これは本当にうれしくて泣きそうになった。ちなみに、百人一首では、でしゃばらず、面倒を見ている子に何枚かをうまく誘導して取らせることができましたね。本人もご満悦で、親御さんも私のやさしい配慮がわかっていたようで、感動していただきました!以前の私ならこういう配慮ができなかったので、自分でも成長を実感してうれしいです。

【写真】学校イベントの親子参加の百人一首
この子は中学生になった以降も、たびたび宿題を見てあげることもあって、うまくできたら「ヨシヨシ」できるまでになりました。そういったこともあって、手を繋いで歩いたり、腕組みをしてくれる時も増えてきました。子どもにはこういう非言語のコミュニケーションの方が伝わりやすいと聞いていたけど、本当にそうみたいです。子どものことを以前より深く理解できて、さらに好きになれましたね。私の幼少時代が特殊すぎて、こういった原体験がなく、「子どもらしさ」の理解がまったくなかったことに気づかされました。いや気づくの、だいぶ遅いですね…。もっと早く気づいていれば、我が子への接し方も違ったと思います。
ちなみに NT 型の人は、戦略的で実利のあることしか「やさしさ」を与えられないところがあります。これって「本当のやさしさ」と言えるのかと、疑問に思うことがあります。だけど、ボランティアに関わる人やカウンセラーに相談すると、概ねこう言われるんです。『受ける側から動機なんて考えません。むしろ本当に助かることを効果的にしてくれるから、相手からの評価は高いんです。承認欲求も得やすく、あなたにとって良いサイクルになるのでは?』とね。これは説得力ありますね。いわゆる「やらない善よりやる偽善」なんでしょうね。
この年齢になっても、まだ学べることも、自分を変えていくこともできるんだなぁと思いました (小並感)。