押尾学こと、お塩先生の偉大なるプロファイル。
1995 年 (17 歳)
帰国からわずか一年で、100 人の暴走族の頭になる。
同時に米軍基地に乗り込み、米兵相手にライブ & 喧嘩。
そんな最中に英検 1 級の資格を取得。
ここだけでお腹いっぱいなのですが、
伝説の 押尾学 語録
- 「最高の俺は他人は当然、俺自身も超えられない」
- 「『何故俺はロックなのか?』それは俺がロックだったからさ」
- 「ロックをやっている時の俺はここではないどこかにいる」
- 「俺の音楽にロックを感じない奴は二度とロックの本質に触れられない」
- 「若く可愛い女の子の悶えには神が宿っている気がする」
- 「俳優からデビューして音楽活動を平行してやってる奴がいるけど、両方とも中途半端で自滅。自分は、両方をコンスタントにやる唯一の存在にする」
- 「俺、昔、東大受かったんですよ。でも日本の大学なんてウゼーと思って...」
- 「高校は中退です...。バイトしてたんですよ。どうしても欲しい G があって...。で...買って半年間ぐらいずっと授業中も弾いてて...先生もいい加減頭にきたらしく・・。俺が寝てる間に机の横の G をけっ飛ばして、それでカチンときて暴れて、呼び出された教頭に...「お前は人間のくずだと言われて」また暴れて...。」
- 「今でも姉とは英語でしか喋らない」
- 「日本のロックは聞くに耐えない。モー娘の方がまだ聞ける」
- 「ブラーはカスの音楽。ゴリラズを聞くやつは人生終わり」
- 「ジム・モリスンのステージでの自慰行為はいつか真似したい」
- 「俺は悪そうな奴とは大体友達なんだぜ」
- 「サッカーをやっててヨーロッパにサッカー留学もしていたんだ」
- 「街を歩くと女はみんな俺を見ている」
- 「歌ってる俺の姿はめちゃくちゃセクシー」
- 「童貞って化石以下だよ」
- 「ヒデとはあいつが有名になる前から親友だったんだぜ」
- 「おれ、大会前からカーンが MVP になること予想してましたよ」
- 「オマエらが今付き合ってる女はオレと付き合えないから仕方なくオマエらと付き合ってるんだ。」
- 「宇梶さん、エンペラーっすよね~。おれは K 連合の総長だったんすよ~。後輩は渋谷・新宿・世田谷なんかに 5 ~ 600 人はいますね~。今でも街歩いてると見知らぬ不良から挨拶されますよ~。」
- 「(尊敬する人は) 親父です。ハートがでかいんですよ。でも俺も言いたいことは言うから、殴り合い寸前になることもある...。そういうときは、庭に出て相撲で決着つけるんですよ。姉貴が行司でね。親父は突っ張りが超強いんですよ」
- 「俺を越えてみろ、俺を愛してみろ」
- 「反町さんはもっと評価されていい。「ロイヤルミルクティー」の歌詞は、俺にも書けない」
- 「日本の音楽はガキのもの」
- 「ボブ・サップだかナップサックだか知らないけどマジ勝負なら俺の方が強いって...幼少時代米軍基地で戦ってたから。」
- 「052 も SSS もオレの暴走族時代の舎弟だぜ。device だったら LIV の前座にだしてやってもいいかな」
- 「オアシスなんて、日本でいえば B'z みたいなもん」
- 「世界に同じ人が 2 人存在するが俺はオアシスの生まれ代わりかもしれない・・・・」
- 「このアルバムができたとき俺はカートコバーンの生まれ代わりと思ったよ」
- 「押尾家は代々サムライの魂を持った家系」
- 「俺はアメリカ人。見てくれは日本人だけど、心はアメリカ人っす!」
- 「俺のライヴにミュージシャンが見に来たら、マジで引退まで追い込みますよ。死にたくなるほど自信喪失させる。それだけ圧倒的なもん聴かせるつもりだから」
- 「12 歳の時アメリカから帰ってきて入学 1 週間目で、いきなりボコボコにされて「生意気だ」って集団でやられて...。もう顔面ボコボコですよ。血だらけになって...泣きながら家に帰ったらオヤジがキレて「お前今すぐやりかえしてこい」ってバット渡して「これで頭ひっぱたいてやれ」って「うそぉ!!」って感じでしたよ。怖かったけど泣きながらやり返しに行った。でもこれがなかったら引きこもりになってましたよ。」
- 「ガキの頃車に轢かれたけど、泣かなかった!!」
- 「沖縄って原チャリはノーヘルで OK なんでしょ?」
げぷー。
押尾学にまつわる逸話
- 100 人以上の暴走族の元頭 (「湘南爆走族」主演後に突然付け加えたプロフィール)
- ブラジルとドイツにサッカー留学 (W 杯決勝前日にいきなりラジオで発表)
- キックボクシングの達人
- 3 万人友達がいる
- 英検 1 級
- アメリカにいた頃、リトルリーグでエースで 4 番を打ってた (女性誌のインタビューより)
- 生まれて一番最初に発した言葉が「Rock'nRoll Is Dead」
- 雨が降りしきり視界が悪い高速道路で、路上にいた子猫を見つける。その猫を助けるため、高速で立ち止まるという危険極まりない行為をとる
- 20 対 1 で (相手は武器所持) 勝った!
- 携帯メモリーは、毎月 2・300 人ずつメモリー削除しなきゃ追いつかないくらい、知り合う人が多い
- クロムハーツの偉いさんと友達で最新の物や自分だけにオリジナルデザインのクロムハーツを、親友の証としてもらった
- 長距離トラックの運転手だった
- 「本物の銃はアメリカで撃ったことがある。8 歳くらいの時から友人の父親と砂漠に行ってしょっちゅう撃ってました」
- 富士山には 5,6 回連続で登ったことがある
ぉぅぃぇ。
ミュージックステーションに出演したときの押尾学
タモリ「音楽はいつから始めたの?」
押尾学「16 歳ぐらいのときからですね。」
タモリ「どんな場所でライブやってたの?」
押尾学「米軍基地です。」
タモリ「べ、米軍~?」
押尾学「ええ、軍人さんとかを相手にライブやってましたね。」
タモリ「それでどんな音楽をやってたの。」
押尾学「ハードコアーですね。」
タモリ「は、ハードコアねぇ。(呆れたように)」
押尾学「ええ、もう外人がみんな乱闘とか始めちゃうんですよね。」
タモリ「へぇ、乱闘。」
押尾学「はい。その日ライブやったら次の日から声出なくなるぐらいで。」
タモリ「へぇ、そりゃまた激しいのやってたんだねぇ。」
押尾学「ええ。ハードなことしか......できないんで。」
タモリ「ええ.......。それじゃスタンバイのほうよろしく。」
押尾学「はい。」
「それでは聴いてください、押尾学ひきいる LIV で、『SOUL』!!」
押尾氏、何を考えたのか、いきなり女性 100% の客席にむかってダイブ。
ところが......。
ストン。
押尾のファン、ダイブを理解していなかった。
そして大変なのはこのあと。
なんと、興奮した押尾ファンがワラワラと群がり、押尾はステージに戻れない状態に!
瀕死になりながらもスタッフの助けによりなんとかステージに戻った押尾。
押尾学「テンキュウ。(裏返った声で)」
武内アナウンサー「押尾学さん、ありがとうございましたー。」
押尾学「ありがとうございました。」
武内アナウンサー「びっくりしました。」
押尾学「......。」
こちらがミュージック ステーションでのダイブ映像らしいです。(思ったより、しょぼいダイブで...)
押尾学 (お塩先生) M ステ ダイブ
タモリさんとの会話映像がなくてしょぼーん。(´・ω・`)
と思ったら、ありました。1 月 16 日になってアップされていたので気付かなかったです。通りすがりさん、ありがとうございます。
押尾学 (お塩先生) M ステ タモリさんとの会話
ちなみに、Wikipedia には以下のように書かれています。
ネット上に「押尾学語録」なるものが流布しているが、そのほとんどは本人の言葉という確証が挙げられていない。(「押尾学語録」の中に木下理樹の発言と思われるものがあるらしい)
ほとんどでなくとも十分な気が... さて、履歴を見ると...