中 博俊さんのBlog記事
縦書きをなくすなんてありえない(http://blogs.wankuma.com/naka/archive/2008/12/16/163895.aspx)
を辿って池田信夫さんのBlog(http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo)にたどり着きました。
幾つかの記事に目を通して、なんとも表現しがたい違和感を感じました。
この湧き上がる感情がなんだろう?と思い小一時間・・・。
当たり前の事ですが、どの様な方が書かれた記事であれ、内容には共感できるところ、共感できないないところがあります。
今回で言えば、共感できないから違和感を感じたのかと言えばそうではなく、共感できるところにも違和感を感じてしまうのです。
では何故、共感できる記事にも違和感を感じてしまったのでしょうか?
それは書かれる文書の書き方にあるのではないかと思いました。
池田信夫さんの記事は非常によく研究されていて、賛成意見、反対意見を織り交ぜて展開されてます。
結論はともかくも内容はとても考えさせる内容ばかりです。
しかしながら、結論としてご自身の主張をする段になると、どうも読む側への主張が過ぎてしまっているように思います。
読者の思考を促す文章になっていないので、改めて見ると文章の全てが押しつけがましく感じてしまう事が理由です。
また自身の主張が過ぎる文章なので、同意できる内容を読み進めているうちはともかく、読み手に相反する意見を持つ箇所があると、どうしてもその箇所だけでなく記事全体に違和感を感じてしまいます。
池田信夫さんの記事に限らず、他者を評価論評しつつ自分の主張を進めていく様な人の文章には、比較的このような文体や構成を用いたものが多く、さらに言えば、この様な文章の書き手は、他者を論評する能力を有していても、人から自分を論評される事を嫌う人、或いは慣れていない人が多い様に思います。
単に評価されることを嫌ったり、慣れていないならまだともかく、中には反対意見を抹殺する人もいるので気をつけたいものです。
さて、全体的に指示・命令型の文章は主張が強い為、その記事へ反対意見は態度を硬化させた非常に攻撃的性質を含む意見が多くなります。
時に言葉尻を捉えた低俗な争いにも発展しやすいので、個人的にこの様な文章はどうしても好きにはなれません。
それ故に強い主張のを伴うこの様な文章では、書き手の主張を優先するのではなく読み手の思考を促すものであって貰いたいと思います。
これは我々の日常の振る舞いでも同じことが言えます。
自分の主張を展開しようとするなら、それらは非常に抑制的に振る舞うべきで、相反する意見でも汲み取れるところは受け入れるという態度であるべきと思います。
そのような意味で、記事以外の側面で勉強になりました。
# で、このエントリも思ったより主張がつよくなって、まだまだだと反省する。w