mixiの限界とその突破方
# 「突破方」じゃなくて「突破法」だと思うけどまぁいいや。
最後のオチが面白い。
# ♪みっくみっくにしてやんよ~
ただ、前提条件にちょっと問題がある。
SNSというシステムには無理がある。メールアドレスなりなんなり1つで簡単に入会できる、外界と薄皮1枚で隔てられているような浸透圧の低い空間で、個人情報をオープンにして密なやりとりしようという発想は、システムとしてあまりにも脆い。
それは確かに脆くて無理があるシステムなんだけれど、別にSNSというのはそういうのに限られない。
問題は、メールアドレス1つで入会できて、個人情報の公開が推奨されているところであって、SNSそれ自体じゃない。
SNSイコールmixiじゃない、ということだ。
最近やっと、SNSとは何なのかということがわかってきた。
mixiしか知らなかった頃は、「インターネット上でリアルの友人ネットワークを作るサービス」だと思っていた。
でも、そうじゃない。それはSNSの応用方法のひとつではあるけれど、SNSそのものじゃない。
Wikipedia:ソーシャル・ネットワーキング・サービスによれば、SNSとは社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスの事である。
社会的ネットワークの説明を見ると、SNSの説明が出てくるより前の部分には、個人情報を晒すとか、リアルワールドでの知り合いネットワークを形成するとかいうことは一言も書いてない。
むしろ、
ただ一緒に何かをするだけの友人集団というのは、同じ知識や機会を既に共有してしまっている。一方、他の社会的世界へ関わりを持つ個人の集団というのは、より広い範囲の情報へとアクセスすることが出来る。ひとつのネットワーク上で多くのつながりを持つよりも、様々なネットワークへのつながりを持つ方が、個人が何かを成し遂げるときにより有益であると解釈することが出来るのだ。
とあるように、mixiの中に閉じこもって、リアルフレンドとだけ付き合うというのは、社会的ネットワークの本来の形ではない。
そういう意味では、mixiが匿名ネットワーク化することは望ましいことだし、Googleが主導し、mixiも参加を表明しているOpenSocial等によって、SNSはより本来の形に近づくことができるだろう。
かつてURLとは、Web上のページのアドレスを示すものに過ぎなかった。
それがファイルとしての実体を持たないサービスを指すようになり、やがてURIとして一般化されて、ネットワーク上に無いリソースさえ識別するようになった。
RDFは様々なリソースに関する情報をコンピュータ可読な形で記述することを可能にし、その上に構築されたFOAFなどはまさに緩やかなSNSであった。
その延長、いわゆるセマンティック・ウェブに至る過程のひとつがSNSだ。
もうずいぶん昔から、インターネット上には仮想世界がある、と言われていた。
確かに仮想世界はあったかもしれないが、仮想社会は存在しなかった。
ソーシャルネットワーキングとは、インターネット上に作られた仮想社会だ。それ以上でもそれ以下でもない。