R.Tanaka.Ichiro's Blog

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車を運転するということ

http://blogs.wankuma.com/sakamoto/archive/2008/01/12/117097.aspx
(拝啓、サカモトと申します。)

のコメントを書いていたら長くなったので、自分のところで話題にしてみました。

子供が嫌がる(泣く)からチャイルドシートに乗せないという人がいます。
それが違法行為であることを告げると「じゃあどうすれば良いの?」と逆ギレされる方もいます。

でも答えは簡単です。
チャイルドシートに乗せて嫌がったり泣くことの何が問題なのでしょうか?
それを理由に乗せないことの方が問題ではないのでしょうか?

どちらもできないなら、車にのる

資格がない

のですから、子供と同乗することを諦めるしかありません。

子供は車に乗るために必要な安全対策に関する知識を学んではいません。
これを学ぶのは大人であり運転免許証を交付された親です。

バスであっても普通の車であっても、運転者は同乗者の命を預かることに変わりはありません。
シートベルトの着用、ドアロックする理由とそうしないことの危険性など、きちんと理解して学習することによって運転免許証を交付してもらうのであって車に乗る人全てが学習する訳ではありません。

上記の理由から、例えば運転者が急ブレーキをかけたことで同乗者が怪我をしたり、死亡した場合は運転者が責任を取ることになります。

バスの場合、特に同乗者の数が増えるので責任が重くなるのは当然です。
ドアが開かないようにロックすること、同乗者が車内をフラフラ歩き回らないように着座状態を保ち続けるように指示すること、車内の様子に気を配ること、これらの行為は、運転しながら後続車に気を配ったり周りの車に気を配ることと同様にしなければならない大切なことです。

「子供は言うことを聞かないから車内をフラフラ歩きまわることは仕方がない」という理屈は、子供は怪我をしたり死亡してもいいという理屈と同じことです。
ですから「子供は言うことを聞かないのが当たり前だし、運転に集中できないから子供に注意を向ける余裕なんてない」と考える人は、そもそも子供を引率する資格すらありません。
善意のボランティア精神は素晴らしいことですが、その人に資質が無ければ単なる迷惑でしかありません。

投稿日時 : 2008年1月12日 12:59

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# re: 車を運転するということ 2008/01/12 13:36 さかもと

ちょっと視点が違うのでうまく描けるかどうか分かりませんが、別に運転責任を取らなくて良いとは言ってません。

>>「子供は言うことを聞かないから車内をフラフラ歩き
>>まわることは仕方がない」という理屈は、子供は怪
>>我をしたり死亡してもいいという理屈と同じことです。

別にこうした内容を書いたつもりはないです。

♪♪ものすっごく注意してたとしても
※「♪」は私のブログ内からの引用

起こりえますよねーと、だから難しいですよねーと。

>>バスの場合、特に同乗者の数が増えるので責任が重くなるのは当然です。

そうです。だから、これほど責任が重くなり、軽々しく子供団体の運転手役になるのを嫌がるケースが増えるだろうなーという内容。「じゃあ今度の試合は○○さん運転手やってよ。その代り全責任は負ってね?」とか。

で。

♪♪子供の命(バス一杯分)を一手に背負って運転とかってしたくないです。

が出てくるわけです。
怖くてできないですよ、僕が全責任を負いますから、って軽々しくは。よそ様の子ですし。
別に「適当に、無責任にやったら良い」という意味合いではないですよ?


>>その人に資質が無ければ単なる迷惑でしかありません。

ではこの事故を起こしてしまった運転手がスポーツ団体でやってきた行為は単なる迷惑だったと?
明らかに引率に不適合な人もいるでしょうけど、そもそも田中さんがおっしゃる「引率の資格」というのはどのようなものですか?


# re: 車を運転するということ 2008/01/12 14:31 Mr.T

Mr.Tです、こんにちは。

>ですから「子供は言うことを聞かないのが当たり前だし、運転に集中できないから子供に注意を向ける余裕なんてない」と考える人は、そもそも子供を引率する資格すらありません。
>善意のボランティア精神は素晴らしいことですが、その人に資質が無ければ単なる迷惑でしかありません。
ここをRさんが問題としたいところじゃないですよね?

Rさんは、「人を乗せるなら相応の準備をおさおさおこたりなく」
ってことを論点にしたいのだと思いましたが、違いますか?



# re: 車を運転するということ 2008/01/12 15:17 R・田中一郎

さかもとさん

>にこうした内容を書いたつもりはないです。

書いたつもりという以前に、根本的な考え方が全く違うことを改めて感じました。
つまり、文章の解釈の違いや表現の誤解による意見相違ではなく、根本的な考え方の違いがあるということですね。

「注意義務って言われても...」から始まる文章ですが、本文は次の通り以下に引用します。

---
難しいですよねーこれ。

事故は事故で痛ましいですけど、ボランティアとか保護者の方が簡単に引率できなくなりますよねー。

誰も引率したがらなくなるような・・・・。運転手役とかって結構あるじゃないですかスポーツチームとか、子供会みたいなやつで。

「何か起こったときに責任問題になるからちょっと・・・」っていう認識がドンドン出てくると思うんですよ、一旦こういう事故が社会問題になってしまうと。

ものすっごく注意してたとしても、相手が子供ですからいうこときかない場合だってあると思うんです。運転中(補助の保護者が別に後ろの方で監視してればいいですけど)に後ろで何やってるか?とか注意しながら運転って逆に危ないですしね。

もう団体での移動はやめますので、各保護者が運転する車で現地集合してください、みたいなことが増えるんじゃないかなー。
---

この文章から読み取れることは、

・運転役を気軽に引き受けられなくなる
・そういう機会は多い
・仔細において注意しても子供は言うことを聞かないこともある
・運転中に同乗者に気を配る方が逆に危ない
(バスであっても同乗者であることは同じだという理由は本文中にて既に述べています)

です。

そして、その後のコメントでは次のように述べています。

---
>>情状酌量の余地は十分ありそうな感じなんですが...

ありますよねー思いっきり。
寛大な処置が出ることを祈ります。

子供の命(バス一杯分)を一手に背負って運転とかってしたくないです。
---

これは、次のように読みとれます。

・情状酌量の余地は十分ある
・子供の命を一手に背負って運転したくない

以上をまとめてみます。

・運転役を気軽に引き受けられなくなる
・そういう機会は多い
・仔細において注意しても子供は言うことを聞かないこともある
・運転中に同乗者に気を配る方が逆に危ない
・情状酌量の余地は十分ある
・子供の命を一手に背負って運転したくない

これが、さかもとさんの本件に関する考え方です。
これに対する僕の意見は、以下のようなものです。
このエントリーの内容と一致する筈です。

運転役を引き受けるからには、それなりの責任があることを知って引き受けるべき。
子供が言うことを聞かないことは免責理由にならない。
運転中に周りの車に気を配ることと同様に車中にも気を配るべき。
子供の命を背負って運転したくないと思う人は、運転すべきではない。
(何故なら、運転者は、それなりの知識を学習し、運転を許可された人なのだから)
その結果誰も運転できないというなら、車による移動を諦めるべき。

情状酌量の余地については、僕の意見はありません。

>起こりえますよねーと、だから難しいですよねーと。

僕は難しいとは感じませんでした。起こりえるから注意するだけの話ですから。

>>>バスの場合、特に同乗者の数が増えるので責任が重くなるのは当然です。
>
>そうです。だから、これほど責任が重くなり、軽々しく子供団体の運転手役になるのを嫌がるケースが増えるだろうなーという内容。

そもそも軽々しく運転手になるという考え方に相違が見られます。
ぼくがそう考える理由は、後述する内容と同様なので、ここでは省略します。

>「じゃあ今度の試合は○○さん運転手やってよ。その代り全責任は負ってね?」とか。

言葉にするとそうですが、わざわざ言葉にする理由が理解できません。
普通は言葉にするまでもなく当然のことですよね?

>♪♪子供の命(バス一杯分)を一手に背負って運転とかってしたくないです。

この1文がどこにかかっていようと、この文章の持つ意味は変わりません。
運転免許を持つ人が、自分の運転技術を考慮して責任をもって判断すべきことです。
その覚悟や自信がなければ最初から引き受けるべきではありません。

>>>その人に資質が無ければ単なる迷惑でしかありません。
>
>ではこの事故を起こしてしまった運転手がスポーツ団体でやってきた行為は単なる迷惑だったと?

運転手に対して言っている訳ではありませんよね?
お手数ですが、もう一度読み返してみていただけませんか?

>明らかに引率に不適合な人もいるでしょうけど、

この基準は何かということですが、僕の基準は簡単です。
その責任の重さをわかっていない人です。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 15:32 R・田中一郎

Mr.T さん

>Rさんは、「人を乗せるなら相応の準備をおさおさおこたり
なく」
>ってことを論点にしたいのだと思いましたが、違いますか?

うーん、ちょっと違いますねぇ。

運転する人は善意であることは間違いないのですが、全責任がついてくることも間違いないんですよってことを言いたい訳です。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 16:00 シャノン

ネタ元はまだ見てませんけど、なんか話題が変わっているような。
同乗者の命に対して責任が取れるならば、チャイルドシートを使わなくてよい、みたいにも取れましたので。
もっとも、車に限らずあらゆるケースにおいて、「他人の命に対して責任を負う」なんてのがどうやったら可能なのかわかりませんけど。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 16:06 さかもと

おぉ、Jittaさんブログ以来の・・・。
Rさんとこうしてお話できてとても嬉しいさかもとです。
普段構ってもらえないので・・・。
C#とかの話難しいんだもん・・・。


で。


>>根本的な考え方の違いがあるということですね。

「根本的な考え方」とかそこまで深く考えているわけじゃないので申し訳ないですが、「根本的な」というか私のあっさぁーい考えと田中さんの至極真っ当な正しい考え方の差かもしれません(笑)ブログの記事内容で「運転資格無」と取られるとこれと言って反論できる個所が見当たらないわけですが(笑)


>>この文章から読み取れることは、

あまり深くまで読み取らないでください(笑)

で。

えっと、まとめていただいた箇所(一番最後のやつです)
==================================
・運転役を気軽に引き受けられなくなる
・そういう機会は多い
・仔細において注意しても子供は言うことを聞かないこともある
・運転中に同乗者に気を配る方が逆に危ない
・情状酌量の余地は十分ある
・子供の命を一手に背負って運転したくない
==================================
「運転中に同乗者に気を配る方が逆に危ない」に関してはちょっと私の書き方がまずかったですね。「気を配る→必要がない」みたいな取られ方をしても仕方ないと思います。同乗者に対する気配りは必要だと思ってます、ちょっと誤解を解かせてください。


Rさんがおっしゃっている
>>そもそも軽々しく運転手になるという考え方に相違が見られます。
は「運転手=運転免許を取る」ということでよろしいですよね?

とすると、上記5点でまとめて頂いた部分が認識できていない

運転免許を持つ資格もない

引率運転を引き受ける云々というまえにその資格がない

運転免許を持つものは子供の引率が十分できるほど責任を果たす人(が本来持つべき)

ということ?


だとするとRさんがおっしゃるように私自身の「運転(免許)」に対する普段の認識が日常生活の中で薄れてきてしまっているのかも知れません。十分反省せねば・・・。


最後にある
>>運転手に対して言っている訳ではありませんよね?
>>お手数ですが、もう一度読み返してみていただけませんか?

これについてはRさんのエントリ内にある

>>ドアが開かないようにロックすること、同乗者が車内をフラフラ歩き回らないように着座状態を保ち続けるように指示すること

運転手の義務である

該当記事の運転手はこれができていなかった(子供が席から離れて問題のドア付近に座っていたそうなので)

だから事故が発生した

Rさんが「・・・・死亡した場合は運転者が責任を取ることになります」と書いてある↓
じゃあRさんは運転手が運転責任を果たしてなかったと言っている(と私は思った)

Rさんの言う「資格がない」にあたるんじゃ?

「善意のボランティア精神は素晴らしいことですが、その人に資質が無ければ単なる迷惑でしかありません。」=該当記事の運転手のことを言ってるの?

という流れで解釈しました。
まぁここは本題とは外れますので、「そう読んだ人がいた」程度に思って頂ければ・・・。


>>その責任の重さをわかっていない人です。
責任の重さを認識してしまうと尚更引率したくなくなるだろうなーというエントリだったのに深く突っ込まれてしまいました。


引率の運転手は今度からRさんにお願いしようーっと(笑)

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 16:09 さかもと

>シャノンさん

>>ネタ元はまだ見てませんけど、なんか話題が変わっているような。

見てっ!(笑)

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 16:13 R・田中一郎

>同乗者の命に対して責任が取れるならば、チャイルドシートを使わなくてよい、みたいにも取れましたので。

そういう考えはないです。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 17:03 R・田中一郎

さかもと さん

>おぉ、Jittaさんブログ以来の・・・。
>Rさんとこうしてお話できてとても嬉しいさかもとです。

何でしたっけ?^^;

>ブログの記事内容で「運転資格無」と取られるとこれと

さかもとさんが云々と言っているのではありませんよ。

>同乗者に対する気配りは必要だと思ってます、ちょっと誤解を解かせてください。

了解です。

>>>そもそも軽々しく運転手になるという考え方に相違が見られます。
>は「運転手=運転免許を取る」ということでよろしいですよね?

違います。運転をすることです。

>という流れで解釈しました。

もっと単純です

>「子供は言うことを聞かないのが当たり前だし、運転に集中できないから子供に注意を向ける余裕なんてない」と考える人

ですよね?
本件の運転手がどのように考えていたかは僕にはわからないのですから、運転手に資質が無いと言える筈はありません。

>責任の重さを認識してしまうと尚更引率したくなくなるだろうなーというエントリだったのに深く突っ込まれてしまいました。

それは一部です。僕の意見は以下の内容に対して述べたものです。

・運転役を気軽に引き受けられなくなる
・そういう機会は多い
・仔細において注意しても子供は言うことを聞かないこともある
・運転中に同乗者に気を配る方が逆に危ない
・情状酌量の余地は十分ある
・子供の命を一手に背負って運転したくない

>引率の運転手は今度からRさんにお願いしようーっと(笑)

今度からって、前回の記憶すらありませんがw

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 17:45 裏口

コメントのほうまでは真剣に見ておりません。

人を乗せていても居なくても運転という行為は専門技術を要する行為です。
事故等起こした際の刑事罰には「業務上(過失)」が頭に付きますよね。

慣れてしまうと意識低下しますが、運転と言う行為自体を軽く考えては拙いと思ってます。
# どうも技術面だけしか身についていない方が多いようです。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 18:07 R・田中一郎

裏口 さん

>どうも技術面だけしか身についていない方が多いようです

同感です。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 19:48 シャノン

>>>そもそも軽々しく運転手になるという考え方に相違が見られます。
>>は「運転手=運転免許を取る」ということでよろしいですよね?

>違います。運転をすることです。

軽々しく運転免許を取っても、運転しなければいいということですか?
なんかおかしいなぁそれは。
まぁ(俺も含めて)ペーパードライバーはたくさんいるでしょうけど、基本的に免許は運転する前提で取るものでしょう。

> 子供は車に乗るために必要な安全対策に関する知識を学んではいません。
> これを学ぶのは大人であり運転免許証を交付された親です。
> シートベルトの着用、ドアロックする理由とそうしないことの危険性など、きちんと理解して学習することによって運転免許証を交付してもらうのであって

というのが真であれば、運転免許を取った以上は、当然、その責任の重さも学んでいるはずであり、また、そうでないならば交付すべきではないでしょう。

>>「じゃあ今度の試合は○○さん運転手やってよ。その代り全責任は負ってね?」とか。

> 言葉にするとそうですが、わざわざ言葉にする理由が理解できません。
> 普通は言葉にするまでもなく当然のことですよね?

言葉にするまでもなく当然のことであれば、このようなブログエントリを上げる必要もありませんね。

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 20:51 R・田中一郎

シャノン さん

シャノンさんの主張したいことはよくわかりますが、僕の意見と少し食い違っているように思います。

僕の意見は、既に箇条書きにしてまとめた以下の内容に対するものです。

----------------------
・運転役を気軽に引き受けられなくなる
・そういう機会は多い
・仔細において注意しても子供は言うことを聞かないこともある
・運転中に同乗者に気を配る方が逆に危ない
・情状酌量の余地は十分ある
・子供の命を一手に背負って運転したくない
----------------------

これに対しては繰り返しになってしまうので、僕から言うことは、これ以上何もありません。

# 長距離ドライブでの休憩ポイント 2008/01/12 21:45 よもやまのC#時折CPP

長距離ドライブでの休憩ポイント

# re: 車を運転するということ 2008/01/12 22:46 れい

R・田中一郎さんに賛成。
さかもとさんは問題意識が低いと私には感じられました。

自分の運転する車に乗せるというのは
その人の命を預かることです。
人の運転する車に乗るということは
運転手に命を預けることです。

事故を起こしたら運転手の責任です。
運転役は気軽に引き受けるべきではありません。
「事故を起こしたら責任問題になるから…」といって、
責任を回避すべきです。

子ども会とかそういったもので、
保護者やボランティアの車で移動なども
現状は気軽に頼みすぎ、頼まれすぎだと思います。
みなが責任の重さを認識したら
そんなに気軽に頼めなくなると思います。
そして、そうあるべきだと私は思います。

さかもとさんのブログより。
>>情状酌量の余地は十分ありそうな感じなんですが...
>ありますよねー思いっきり。

件の事故に関して言えば、
ドアのロックをしていなかったので
酌量の余地などないです。
注意義務違反で子供を一人殺しているわけで、
裁かれて当然だと思います。

>寛大な処置が出ることを祈ります。
> 子供の命(バス一杯分)を一手に背負って運転とかってしたくないです。

この論理展開が意味不明です。
子供の命を背負って運転したくないなら、
しなければいいだけのことです。

医師免許と違い、運転免許は
運転しなければ義務は発生しません。
運転をしなければいけない義務もありません。

付き合いとかで断れない、というのであれば、
その付き合いと子供の命を天秤にかけろ、と。

運転に対する危険意識が低すぎな人が多すぎなので、
運転を断ったりするのが非常識になってしまってるのでしょう。

そういう状況をなんとかするためにも、
寛大な処置がでないことを祈ります。

# re: 車を運転するということ 2008/01/13 2:41 ゆうじ1982

改めて考えさせられました。

さかもとさんが仰るように、
「もう団体での移動はやめますので、各保護者が運転する車で現地集合してください」
が増えると思いますが、それが正しい気がします。

子供のスポーツではよくある事で、なくなると不便かもしれませんが
運転の危険性を考えると、「怒鳴ってでも、子供をコントールする」ことが
(僕の主観ですが)できてない現状では面倒でも親が連れていくか
お金を払ってプロに頼むようにならなきゃいけないですね。

何せよ、ある程度のお金がかかることは前提なのに、
危険性の高い運転に対してドライバーを雇わず
「気軽に頼んでる現状」は異常なんでしょうね。

自分の子供が同じように死ぬ可能性を考えたら、本当にゾッとします。

# re: 車を運転するということ 2008/01/14 14:52 R・田中一郎

れい さん

本当に仰る通りだと思います。

このニュースを読んで我々が考えるべきことは、何よりも先に事故再発防止のために我々がどうあるべきか?、だと感じました。

ご近所づきあいや、地域の善意的な活動の活性化が削がれるという二次的な損失を懸念することで、本来在るべき大切な姿を見失ってはいけませんよね。

------------------------
ゆうじ1982 さん

>「もう団体での移動はやめますので、各保護者が運転する車で現地集合してください」
>が増えると思いますが、それが正しい気がします。

寂しいことではありますが、僕もそれが正しいと思います。

>運転の危険性を考えると、「怒鳴ってでも、子供をコントールする」ことが

同感です。
この意見は、泣くことよりも命を失う危険性を排除することを優先してチャイルドシートに座らせるべきだという僕の意見と一致していますね。

>危険性の高い運転に対してドライバーを雇わず
>「気軽に頼んでる現状」は異常なんでしょうね。

そうですね。
ご近所づきあいのために子供の命が犠牲になる可能性があるということを示しているようにも思います。

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