Mの人
という称号を持つJさんという人がいました。
Jさんは、とても優秀な方で人望も厚い方です。
胸にはMであることを示すバッチをつけています。
このため、誰もが一目でJさんがMであることがわかります。
ある日、その方が道を聞かれました。
「立派な建物に行きたいんだけど、どうやって行けばいいんでしょうか?」
するとJさんは言いました。
「立派な建物?んなものねぇ。立派なんて人の主観によるものなんだから、もっと具体的に言ってよ。
そんな言葉でわかるほど世の中甘くないよ。」
そこへ、その道をよく通るWさん。
「そんな対応は酷いよ。この辺りに立派な建物なんて限られているんだし、もう少し親身な対応をしてあげてもいいじゃないか。
昔に比べたら、随分世の中も変わってきているんだし、これからもっと良い世の中にしていこうよ」
Jさんは言いました。
「世の中の話は別にして、立派なんて人の主観だっていってる。どういう風に立派なのかもっと具体的に言って欲しかったんだよ。
まあ、取りあえず真っ直ぐ行ったところに、立派な建物と呼べるところがあるから、まずそこへ行ってみて違うようなら、また聞きに来てくれよ。」
それを聞いたWさんは少し腹が立ってきました。
「ちょっと酷くないかい?
前から思っていたんだけど、僕はMに属している人に不信感を持っているんだよね。
Mの人って、冷たい人が多いよね。」
すると、その経緯を見守っていた人たちはWさんに言いました。
「Mの人全員を否定するなんて、それは言いすぎだよ。」
最近、そんな光景を目にしました。
僕は誰が正しくて誰が間違っていたと明確に言えないように思いました。
誰もが間違っていないと思うし、誰もが正しいとも思えません。
ほんの少々の行き違いという気がします。
冷静に見てみるとJさんの意見は筋が通っていて正しいのですが、ちょっと冷たいと誤解させてしまう表現があったようにも感じます。
だからWさんの言うことも間違っていないように感じました。
しかし、Mの人すべてを否定した点については、ちょっと行き過ぎかなとも思います。
でも、Jさんは、自分がMの人であることを、誰がみてもわかるようにバッチをつけていました。
ですから、Jさんの行動が、Mの人の行動であると周りの人に印象付けてしまう点があったことも事実です。
また、Wさんは他にもMの人が、冷たいと思われる対応をしていたのを見たことがあったのかもしれません。
なので、一概にWさんが、そう言ってしまった理由もわからなくはありません。
僕から見ると、どちらも知っている人なので、このやり取りは見ていてちょっと辛かったです。