再度、私の意見は
・壊れた時に対処できないものは作らない
・後始末に手間が掛かるものは作らない
です。
前回のエントリーでコメントを頂きました。
>すべての可能性を考慮して壊れたときに問題なく対応できる何て言えるのですかね
>これって捉えようによっては、ビルとか建物とか全滅では?
確かに、突っ込まれると返答に困るのですが、「安全に」という定義がアヤフヤでした。
人が作ったものは、壊れます。劣化します。施工時の手抜き、基礎設計バグ等の潜在バグ、既存歩適格物等。
エンジンが壊れたら、回転が止まります。車は壊れたら止まります。これらは、(一般的な)安全に壊れます。
安全の意味を「壊れたときの影響が、当該の範囲に留まり、外部に影響を及ぼさい」とした視点で考えています。
人工呼吸器が壊れて、止まると患者に死に影響します。過剰供給側に壊れても死に影響します。しかし、呼吸器を接続していない人には影響しません。
(以下の比喩は誤解されるかもしれませんが)
9.11のビル破壊ゃ、デパートの崩壊でビル内にいた人が巻き添えになりましが、その瞬間、その場所に存在した人に限定されます。
それ以外の人に被害は拡大しません。 当事者は声の掛けようもなく悲惨で不幸なことです。
船が壊れて沈む。飛行機が壊れて墜落する...これも当事者は死にます、しかし影響範囲は限定的で、部外者は安全です。
でも、原発が壊れたとき、復旧作業をする人が全員逃げてしまった場合、被害は拡大する一方です。
核のゴミも密封状態が壊れたときの影響は大きいでしょう。
今回の震災で、東北新幹線が「安全に停止した」という実績や、「スカイツリーが安全に立っていた」という実績は重要です。
「原子炉の安全は、外部電源に依存していて、、自分で安全に壊れることすらできない」「安全に壊れるために人手を要する」........完成品とは思えないなぁ。