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負けてよかったのでは?

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091101-OYT1T01018.htm
玻南ちゃんダメ?…名前受理されず、最高裁へ

単なるわがまま


ですよね
名前は大切なものではあるけど、規則を無視して自分の我を通そうとする時点で、その名前に泥を塗ることになります。
ないとは思いますが、万一勝訴したときは、泥まみれになった名前を子供に付けることになるのだと気づいて欲しいものです。

どんなに立派な名前を付けても、それは単なる親のエゴだということを自覚しないといけません。
卒業証書を受け取るときに、自分の子供の名前を間違って呼ばれはしないだろうか?
変な名前だと友達にからかわれたりしないだろうか?
僕は、そういったことを最初に心配しました。

目立つなら、親のつける名前ではなく、その子自身の「何か」で目立って欲しいと、僕は思うのです。

投稿日時 : 2009年11月4日 16:09

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# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/04 17:35 YuO

過去には常用漢字でも人名用漢字でもない文字の利用を争って勝利した例があります。
最高裁判例 / 平成15(許)37
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiKbn=01&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25144
人名用漢字の新字旧字:「曽」と「曾」
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2008/11/06/so/

判例を読む限り,あくまで「常用平易」であることが利用できる漢字の制限であって (戸籍法第50条1項),
法第50条2項やそれに基づく戸籍法施行規則第60条によって,常用平易である文字を制限してはならない,と解されるようです。
なので,上記の「曽」のような漢字が実は施行規則第60条の列挙から抜けている可能性はあり,
「常用平易」と考えられるものについて争うことは,意義があることだと思います。

今回の「玻」については,平易性は認められそうですが,常用性は厳しそうです。
「玻璃」以外での利用が認められるか,「玻璃」が常用されていることを示さないといけないのですから。
# 私は今回の件で初めて「玻」という文字を知りました。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/04 19:24 みきぬ

軽く調べてみた。
・その昔「武石浩玻」という人がいた
・沖縄県に「玻名城」という地名がある

これが争える材料になるかはわからないけど。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/05 0:29 まじかんと

名前に泥を塗っているのは、戦っている親たちではなく規則に従わぬ者をあざけっている側だとは思いませんか?

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/05 9:24 みきぬ

> 名前に泥を塗っているのは、戦っている親たちではなく規則に従わぬ者をあざけっている側だとは思いませんか?

誰かあざけったの?

> 規則を無視して自分の我を通そうとする時点で、その名前に泥を塗ることになります。

余計な注目を集めることにはなるけど、それが泥を塗ることになるかどうかはわからない。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/05 16:53 R・田中一郎

この件については、いろいろな意見があるようですが、僕の考えはエントリーにも書いた通りです。

生まれたばかりの赤ん坊が、出生届を受理されないまま、1年近く戸籍のない状態が続いている理由は、規則を無視した使用できないとされている文字を「素晴らしい名前だから子供に付けたい」と言い続けている親のエゴです。

それは、僕から見るとバカバカしい行為にしか見えません。
僕には、正式な名前も戸籍もないままでいる子供が不憫だという思いしかありません。

子供が重い病気にかかったり、事故でケガをしたときを考えたとき、名前がなくても保険証や生命保険に加入できるのだろうか?
裁判って、それなりに費用や時間がかかると思いますけど、その時間を、生後1年に満たない子供の世話や費用にあててあげた方が良いのでは?

などと考えてしまいます。

僕は、自分の子供が生後1ヶ月のとき、すぐに生命保険に加入しました。
何か起きたとき、満足な治療を受けさせてあげたいと思ったからです。
直後に、喘息持ちであることがわかり、生後数ヵ月の間に 2 度ほど入院することになったときは、個室で十分な治療を受けさせてあげることができました。
(大部屋だと、ちょっとした物音で夜泣きが始まって、本人も眠れず、周りにも迷惑をかけるので)

名前は大事かもしれません。
しかし、規則を無視した名前を裁判を開いてまで勝ち取る行為が、僕には愚かしい行為にしか感じられません。
そこまでして、付けなければならない理由なんて存在しないと僕は思います。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/05 21:37 まじかんと

> 誰かあざけったの?

「エゴ」とか「単なるわがまま」とか「愚かしい」とか呼ばわることを差して私は「あざけっている」といいました。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/05 21:47 R・田中一郎

その通り、僕は「あざけっている」ことになるのでしょうね。

それは否定しません。

泥を塗るという表現よりも、ケチのついた名前という表現のほうがしっくり来るかもしれませんね。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/05 22:58 まりも

んー。

規則に違反してないと主張しているから裁判になっているのではないですかね。
また、裁判の結果勝ちとったなら、それは違反してなかったということでしょう。


あと、子供に美しい名前を付けてあげたい、というのはそんなに悪いことかなあ。

その子供がどんな人生を送るか、
たとえばいじめられるかとか、
どんな学校、会社に入るかとかは、
親の影響もありますけど、本人の責任ややまわりの環境など、
いろんな要因がかかわって決まるものです。

親に何とかできることもあればできないこともある。
うまくいかなくても後で挽回することもできる。

でも。
名前を付けてあげることは。
親にしかできない、それも一度しかできないことなのですよ?

そしてその名前は一生、死ぬまで本人について回るのです。
よほどのことがないと捨てるわけにはいきません。

愛情があるなら。こだわって当然ではないですか?


とかまあ、カッコつけて言ってみましたが。
まあ実際には私本人はそれほど美しい名前にこだわるわけではないのですが。
カッコよく言えば言えるものです。

自分の愛情の表現方法に自信のある人は多いでしょうし、
自分が自信を持って信じているんですからいくらでも美しく説明することができます。
それは別にいいですが。

だからって自分以外の愛情をけなすことはないのではないかなあ。
悪いように言えば悪いように言えますが、
そういうのはあまりカッコよくないように思えます。

R・田中一郎さんの愛情だって、悪いように言えば言えますよ?
(書いちゃうと喧嘩を売っているような感じになるので書きませんが。)

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/06 9:28 R・田中一郎

>また、裁判の結果勝ちとったなら、それは違反してなかったということでしょう。

結果的にはそうなりますよね。
その可能性があるから、子供が戸籍のない状態のまま放置しているのでしょう。

>あと、子供に美しい名前を付けてあげたい、というのはそんなに悪いことかなあ。

美しい名前ではなく、自分が美しいと思い込んでいる名前、です。

そもそも、僕は、親が子供に名前を付けるという行為に対して、エゴだと言っています。
だから、その行為を貫き通す行為もエゴでしかありません。

うちの子は平凡な名前ですが、妻が付けました。
それなりに考えて付けてくれたようです。
僕の考えた名前ではないけれど、それはそれで美しい名前だと思っています。
しかし、本人がどう思うのかはわかりません

>愛情があるなら。こだわって当然ではないですか?

当然でしょう。
でも、程度というものがあるでしょう、と言うのが僕の意見です。

上記以外にも触れたい部分がありますが、このエントリーの主旨から外れていると思うので控えておきます。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/06 9:50 みきぬ

エゴでいいじゃない。それが結果的に子供のためになれば。

…でも、両親はその子のことを既に「玻南」と呼んでいるはずだよね。
裁判に負けたら、同じ読みで別の漢字を宛てるしかないんだろうね。既にお子さんには「ハナ」という言葉が残っているだろうから。

ある意味、もう取り返しのつかない状態になってるよね。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/06 10:59 R・田中一郎

>裁判に負けたら、同じ読みで別の漢字を宛てるしかないんだろうね。既にお子さんには「ハナ」という言葉が残っているだろうから。

漢字に特別な意味があることが両親の主張ですから、裁判に負けたら全く違う名前を付けるような気がします。

なぜなら、両親は自分の気に入った名前を付けることを、何よりも優先する人だと思うからです。

ですから、早期に決着をつけてあげないと、子供が可哀そうです。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/06 14:43 すがり

>美しい名前ではなく、自分が美しいと思い込んでいる名前、です。
玻南って私にも美しい名前だと思いますよ?

ただ、裁判までするかどうかは別として・・・。
この話は単に「定められた規則」が緩かった。
という話になるのではないでしょうか?

だからこそ、その「定められた規則」を変えたかった。
自分たちと同じような境遇の方を増やしたくなかった。
のでは??

それこそ、この記事こそがエゴの入った記事では??

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/06 17:45 R・田中一郎

>>美しい名前ではなく、自分が美しいと思い込んでいる名前、です。
>玻南って私にも美しい名前だと思いますよ?

玻南という名前が美しいかどうかが論点ではありませんよね?
美しいかどうかは、人の主観によるものです。
唯一明言できることは、付けるべき立場にある人が「美しいと思い込んで付けている」という事実だけです。
(本当に美しいと思い込んでいるかは別として)

>ただ、裁判までするかどうかは別として・・・。

いえ、これこそが、このテーマの主題です。

どうしても使いたい漢字があるという理由から裁判までする必要があるのか?
結果的に子供が被害を受けているのではないか?

ということが主題です。
しかし、反論される方は、みな「名前は大切だ」とだけ力説します。

僕としては、そう言われても「そうですよね。大切ですよね」としか返答できません。
現に本文でも名前は大切であることに肯定しているのですから。

>だからこそ、その「定められた規則」を変えたかった。
自分たちと同じような境遇の方を増やしたくなかった。
のでは??

これも、あなたの主観の話です。
先ほどの「玻南という名前が美しいかどうか」と同じことですよね。
事実はわからないのですし、想像を交えて論じることができるなら、どんな理論展開も可能ですよね?

僕がエントリとして書いた記事の情報ソースは、エントリ記事に書いたリンク先の情報のみです。

>それこそ、この記事こそがエゴの入った記事では??

それは認めましょう。
ここは僕のブログです。
だから、僕の思ったことを素直に書きます。
結果として、エゴが入る部分もあるでしょう。

しかし、この記事がエゴかどうかも論点から外れています。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/06 22:14 まりも

>ということが主題です。
>しかし、反論される方は、みな「名前は大切だ」とだけ力説します。

そうだったのですか?
かなり意外に感じました。

名前にこだわることがくだらないと言う主観を力説しているようにしか読めなかったのですが。
最初のを見ても裁判の話は殆ど出てないような。

裁判の話なら、国民の権利なんだから良いんじゃないか、と思います。

最終的な判決が出てないんですから、
子供の名前を付けるのに役所にいちゃもんをつけられたかわいそうな人、
である可能性はまだあるわけですし。

そういう確認をするために裁判があるんですから、利用したければすればいい。

>ここは僕のブログです。

個人のブログに不特定多数の人(この場合は名前にこだわる人達)の悪口を書くのは自由だし遠慮なくやればいい、
というのが、一般的な見解なのでしょうか。
こないだもそう思っている人を見かけたので、そう思う人が多数なのかなあ、とか悲しく思っているのですが。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/08 9:20 R・田中一郎

>子供の名前を付けるのに役所にいちゃもんをつけられたかわいそうな人、
である可能性はまだあるわけですし。

それはありません。
役所は、受理できない理由を明確にしていますし、裁判でも同様の理由で一度負けています。
したがって、「役所にいちゃもんをつけられたかわいそうな人」ではなく、役所や裁判の結果にいちゃもんをつけていると考えます。

また、かわいそうな人は、親のエゴを通そうとするために、いつまでも戸籍に登録してもらえない子供ではないでしょうか。

>そういう確認をするために裁判があるんですから、利用したければすればいい。

僕は上記の意見に賛同できません。
裁判が何のためにあるとか、利用するという考え方は、少し違うように思います。

両親と子供の関係があり、その子の名前を決定することについて、本来は家族間で解決できるはずの問題です。
現に、多くの親は、そうしています。

しかし、そこに行政を挟むことを「利用できるものはすればいい」と言えてしまう考え方は、僕には理解できません。

>個人のブログに不特定多数の人(この場合は名前にこだわる人達)の悪口を書くのは自由だし遠慮なくやればいい、

僕は喧嘩をしているつもりも、反論者の悪口を言っているつもりもありません。

僕の主張は、エントリの文章とコメントで一貫して述べている通りです。
まりもさんを始めとして、反論する方もいましたが、子供が犠牲になっていいという理由にはなりえないというのが僕の結論です。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/08 12:23 まりも

>役所は、受理できない理由を明確にしていますし、裁判でも同様の理由で一度負けています。

明確でも裁判に負ければ無効ですね。
そして負ける可能性はまだあります。
負けるかどうかはやってみないとわからないので、
最高裁の結果が出るまでは、わかりません。
最高裁の判決が出てなおその名前をつけようとごねて初めて、それはルール違反となります。


人には意見の違いというものはあるものです。
自分の意見にみんなが同調するのが正しい、とは限りません。
自分の意見にみんなが同調するのが正しいということを前提として話すのは傲慢であり、
あまりよいことではないと思います。

いや、それでも自分が正しいと思う意見を回りに納得してもらいたい、
というのは当然のことであり、それを目指して主張することは悪いとは言いません。
というか、私がここに書きこんでいるのもそう言う主張の一つですし。

だから、たとえば裁判に関する反論をR・田中一郎さんがやっていることに関しては、全く傲慢ではないと思います。

ただ、
「そもそも、僕は、親が子供に名前を付けるという行為に対して、エゴだと言っています。 」
これについては十分な説明がされてないと思います。
にもかかわらず、これを大前提とした決めつけがあちこちにあるように思えます。
たとえば裁判をする前から負けることを前提として話を進めるなど。

それは傲慢だと思います。

>僕は喧嘩をしているつもりも、反論者の悪口を言っているつもりもありません。

それは間違いなくそうだと私も思いますが。
私が言っているのはここの人との会話の話ではありません。

先の投稿にも「(この場合は名前にこだわる人達)」と書いたように、
名前にこだわることが親の務めだと思い、それを実行している人たちです。
ネットに公開しているのだから、そういう人がここを見る可能性は十分にあるでしょう。
そういう人たちに対する配慮が足りないのではないか、と思っています。

批判は自由だと思うのですが、せめてそれを理解できない人に対する説明が必要なのではないでしょうか?
エゴである、と一刀両断するのは悪口に当たると思います。


>まりもさんを始めとして、反論する方もいましたが、子供が犠牲になっていいという理由にはなりえないというのが僕の結論です。

そもそもその、犠牲になっているというのが主観にしか思えないのですが。
R・田中一郎さんと感性を同じくする人同士なら説明抜きの一刀両断で通じると思いますが。
そうでない私のような人間としては、それを説明抜きで断言するのは、どうも傲慢に思えてならないのです。

自分と同じような方法で愛情表現をしない人はみんな愛情がないのだ、と言っているように聞こえます。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/08 14:53 R・田中一郎

>人には意見の違いというものはあるものです。

その通りです。
ですから、ここは僕のブログで、自分の考えを述べていると書きました。

>というのは当然のことであり、それを目指して主張することは悪いとは言いません。
>というか、私がここに書きこんでいるのもそう言う主張の一つですし。

すべての意見に合意してもらえるとは僕も思っていません。
つまり、まりもさんが僕のブログを読んで、こういう考え方もあると納得していただければよいのだと思います。

僕も、名前が大切であり、そのために戦うことで子供に1年近く名前を与えない親を肯定する人がいることについて、そういう考え方をする人がいるのだと認識はしました。

だから、それについて僕の意見に従えというつもりはありません。

しかし、先ほども言った通り、ここは僕のブログです。
そして僕のブログの記事に対して、反論されるコメントがあれば、記事の考えを補足する必要が出てきますから、反論することになります。

僕は、まりもさんの意見に同調するつもりもありませんし、反論されれば、自分の意見を正当化するための反論をさらにします。
先に書いた理由によって、です。

>名前にこだわることが親の務めだと思い、それを実行している人たちです。

名前は大切であると記事にコメントにも書きました。
しかし、裁判を起こしてまで、貫きとおす必要はないと、僕が思っていることについても書きました。

>そもそもその、犠牲になっているというのが主観にしか思えないのですが。

誰もが与えられるはずの、名前や戸籍が与えられないことは情報ソースにある通り、主観ではなく事実です。
これが、犠牲であるかどうかについては、戸籍のない人が、どのような被害にあうのかに準ずるものだと考えます。
僕は専門家ではないのでわかりませんが、犠牲になっていることは主観ではないでしょう。

>自分と同じような方法で愛情表現をしない人はみんな愛情がないのだ、と言っているように聞こえます。

これこそが、主観ですよね?
僕は、そんなことを言っておらず、そう聞こえるということなのですから。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/08 16:15 まりも

意思の疎通がうまくできてないようですね。
なんか無駄に長くなっているような。
すみません。

>僕も、名前が大切であり、そのために戦うことで子供に1年近く名前を与えない親を肯定する人がいることについて、そういう考え方をする人がいるのだと認識はしました。

これをもって、私の言いたかったことは伝わったとするべきなのかもしれません。
なんか腑に落ちない点は残りますが。

誰にでも見える場所で、裁判を起こすような人を侮辱する発言をした、
というのも気のせいなのでしょうか。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/08 19:36 R・田中一郎

>誰にでも見える場所で、裁判を起こすような人を侮辱する発言をした、
>というのも気のせいなのでしょうか

僕の主張が、単に裁判を起こす人を否定している訳でないことは、すでにご理解いただいていると思います。

たくさんの人が目にする場で、自分の考えを述べることは、とても難しく、勇気が必要です。
すべての人に、それぞれの考え方があるため、当然、反論する人もいるからです。

一方で、自分にとって正義であると信じていることについて、明確に物事を述べることも、また大切なことだと僕は思っています。

まりもさんとは、以前も @IT で議論をさせていただいたことがあったと記憶しています。
そのときも、今回と同様に、平行線のまま「そういう考えの人がいる」という結論になったように思います。

それは、議論の終わらせ方の方法として、正しい方法であると思います。
結論を出すことだけが、議論の目的ではないと思うからです。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/08 21:21 まりも

了解しました。

完全に意見が理解できたというわけではないですが、
少なくとも私の意見と決定的に矛盾するというわけではないようです。
お付き合いありがとうございました。

平行線については、
お互いに相手の意見を否定できる根拠を持っていない、という結論が出たということは、
立派に論理的で建設的な結論だと思います。

まあ往々にして、話し合うこに飽きた時の言い訳に使われるのがなんですが。
少なくとも今回は建設的な平行線だと思います。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/09 13:07 R・田中一郎

>お付き合いありがとうございました。

こちらこそ、コメントをいただいてありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/09 13:26 すがり

>玻南という名前が美しいかどうかが論点ではありませんよね?
いやいや、元々はココでしょ?

>美しいかどうかは、人の主観によるものです。
唯一明言できることは、付けるべき立場にある人が「美しいと思い込んで付けている」という事実だけです。
>(本当に美しいと思い込んでいるかは別として)
だから、裁判まで起こして争ってるわけで。
この子供の名前が一般的に受け入れられない(暴力的なものや、性的なもの等)ものであれば、反論者もいない気がしますがね。

まぁ、名前の良さというのは理屈じゃないから。
分からない人には分からないし。

私はこの名前であれば、「規則」というものに縛られず、
その「規則」を返る努力を行政がするべきだと思います。

さらに、子供に医療を受けさせることができないということも、「それはあなたがココで争ってるからだよ。あなたのエゴがそうさせてるんだよ。大人しく行政に従いなよ。」なんて、ちょっとなぁ・・・。

# [戯言]愛情のいきつくさきは? 2009/11/09 15:45 鴉のひとりごと

負けてよかったのでは? >単なるわがままですよね うん、まぁ、ぶっちゃけエゴだよね。たとえ勝ち取ったとしても戸籍にはもめた事実は残っちゃうし。 親の愛情を疑うわけではないけど、子供にとってシアワセかどうかは悩ましいところだと思う。 >目立つなら、親のつ

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/09 17:53 セロ

大前提として「子供の名前は子供のもの」ってのは忘れないで欲しいなぁと思います。
こだわるならもっと考えろと言いたい。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/09 20:13 nightRaven

「玻南」という名前を仮に最高裁で勝ち取ったとしても、最終的に親のエゴに終わるか否かは子供が大きくなったときにどう思うか?に尽きるのではないでしょうか。
そしてそれは、いじめとかもそうですがなにより「はな」とすんなり周囲が読んでくれるかどうか、にかかっているかと...。

「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」
~ 吉田兼好『徒然草』
だそうです。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/10 18:37 R・田中一郎

すがり さん

>>玻南という名前が美しいかどうかが論点ではありませんよね?
>いやいや、元々はココでしょ?

原因と論点は違うものです。
繰り返しになってしまいますが、玻南でも、提灯でも、美しいかどうかなんて人それぞれの主観ですから、本件そこは論じる意味があるとは思えないのですよ。

ちなみに、漢字の問題さえなければ、かわいらしい名前だと僕も思います。

>この子供の名前が一般的に受け入れられない(暴力的なものや、性的なもの等)ものであれば、反論者もいない気がしますがね。

例えば、俗に言うDQNネームの筆頭として紹介される「亜成(あなる)」ちゃんという名前ですが、漢字 1 文字に両親の思いがあったり、理由となる物語があるなどと言われれば、一般的に「ケツの穴」をイメージする名前が、ほら「親の願いのこもった美しい名前」に早変わりです。

>まぁ、名前の良さというのは理屈じゃないから。

上記の例の通り、理屈で測れないから、規則を作って従ってもらう必要があるのですよね。

>私はこの名前であれば、「規則」というものに縛られず、
>その「規則」を返る努力を行政がするべきだと思います。

「この名前であれば」の判断は誰がするんでしょうか?
そもそも、名前に良い悪いなんてあるんでしょうか?

親が子供を思って付ける名前は、親が良いと思えば、名前に優劣なんてないんですよ。
あなるちゃんでも、しもべちゃんでも、それなりの意味があるのかもしれない。

>さらに、子供に医療を受けさせることができないということも、「それはあなたがココで争ってるからだよ。あなたのエゴがそうさせてるんだよ。大人しく行政に従いなよ。」なんて、ちょっとなぁ・・・。

それって言い方で大分印象が違いません?^^;

「大変申し訳ありませんが、あなたの主張する漢字は戸籍に使ってはいけないことになっているんです。何とぞご理解下さい。」
「何よっ!、こんな立派な名前なんだから、規則の方が間違っているんでしょ!。変えるべきよっ!」

裁判で争っているのは「誰にも読めないような字を持ってきて、美しいとか高尚だとか言われても、認めるわけにはいかないよ」ってのが基本らしいです。
そして、可能性はゼロではないという点では、漢字を使うという目的だけを見れば争う価値があるでしょう。

でも、僕の主張は、そうじゃないのですよ。
裁判をすることで、誰もが生まれたら付けてもらえる名前がないまま、戸籍も持たされずに、ひょっとして裁判かかるお金で可愛い洋服が買ってもらるかもしれない、手間がかかるだけ可愛がってもらえる時間がなくなるかもしれない、漢字1文字に、そこまでの価値がありますかって話です。

----------------------------------------
鴉のひとりごと さん

何より優先されるべきは、子供の幸せですよね。
僕は、そう思うのです。

読めない人がいることが当たり前の名前なんて、そんな名前は僕ならいりません。

----------------------------------------
セロ さん

>大前提として「子供の名前は子供のもの」ってのは忘れないで欲しいなぁと思います。

同感ですねぇ・・・
少なくとも、名前が子供の人生の邪魔をしてはいけないよってことです。

----------------------------------------
nightRaven さん

>そしてそれは、いじめとかもそうですがなにより「はな」とすんなり周囲が読んでくれるかどうか、にかかっているかと...。

失礼ですが、お子さんはいらっしゃいますか?
お子さんがいる親は、自然に上記のような心配をしてしまうものではないかと、僕は勝手に思っています。

>「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」

そうですよね。
読めない名前を見たら「こんな訳のわからあない名前なんて付けやがって」という人もいるかもしれませんよね。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/10 19:05 nightRaven

>失礼ですが、お子さんはいらっしゃいますか?
残念ですが、子供を授かる機会には恵まれなかったようです(苦笑)

「玻南」という名前は私にはすんなり「はな」とは読めませんでした。(読めない私が少数派なのかも...)
名前は呼ばれて初めて意味を成すものだと私は思います。
親の愛情という名の下にすんなりとは読めない名前をつけられて、ずっと確認され続ける子供の気持ちを想像してみての意見でした。
子供がいないから勝手なことが言えるんだ、といわれるかもしれませんね(苦笑)

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/11 12:00 R・田中一郎

失礼なことを聞いてしまいましたね。
申し訳ありません。

>名前は呼ばれて初めて意味を成すものだと私は思います。

全く同感です。
コメントありがとうございました。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/11 20:27 すがり

>さらに、子供に医療を受けさせることができないということも、「それはあなたがココで争ってるからだよ。あなたのエゴがそうさせてるんだよ。大人しく行政に従いなよ。」なんて、ちょっとなぁ・・・。

>それって言い方で大分印象が違いません?^^;

>「大変申し訳ありませんが、あなたの主張する漢字は戸籍に使ってはいけないことになっているんです。何とぞご理解下さい。」
>「何よっ!、こんな立派な名前なんだから、規則の方が間違っているんでしょ!。変えるべきよっ!」
わははwwww。
ですね。

この記事の内容が、ある主観によって、決め付けられている気がしましたので、わざと絡むような言い方をしました。お詫びします。

私も1人の息子がおります。
名前は和をモチーフにした、平成の世ではないような名前にしました。私のエゴでね。
もちろん、親、親戚、友達含め、嫁までが大反論です。
古臭い名前だと。いじめられると。
今でもそんなこという人間はいます。

しかし、大半の方は今では良い名前として愛着を持って頂いてます。その名前のお陰か、息子の人格によるものかは分かりませんが、男女問わず、多くの関心を集めているようです。
この時点で親バカに思えるかも知れませんが、
これは第3者(複数)からの意見なので、無視できません。

親としては名前はなんでも構いません。
元気に成長して、無事人生を終えてくれれば、なにも言うことはありません。
ただ、そこに名前で変わる人生もあるかもしれないということを考える人間がいるんだと分かってください。
そういう思いの人は、規則だなんだで、その名前は却下される人の応援をしたくなるものです。

>「この名前であれば」の判断は誰がするんでしょうか?
>そもそも、名前に良い悪いなんてあるんでしょうか?
この漢字を使いなさいと決める人たちじゃないですかね。
その人たちの杓子定規で決める規則なんて、どれほど意味があるのでしょうか?
例外を認めてはならないというプライドも小さなものです。
裁判まで起こったこの問題に対して、その人たちが「この漢字も使っていいようにしようか」と考えなおしてくれることに期待を持って、起こした裁判のように思えます。

この記事も言い方を変えれば、そういった意見もあるんだというように捉えていただけかも知れません。
何事も言い方次第ですよね。

コメントありがとうございました。
こういった話は好きなので、またお邪魔するかもしれませんが、そのときは宜しくお願い致します。

# re: 負けてよかったのでは? 2009/11/13 4:51 R・田中一郎

>もちろん、親、親戚、友達含め、嫁までが大反論です。
>古臭い名前だと。いじめられると。
>今でもそんなこという人間はいます。

僕は、「そんなことをいう人間」に含まれると思います。
しかし、それは身内で問題を解決している訳で、規則に反している訳でも、誰に迷惑をかけている訳でもありません。
また、僕が正しいとか、間違いだという権利もありません。
「名前にこだわることが大切である」と主張する意見の背景として受け取らせていただきます。

>親としては名前はなんでも構いません。

優先順位の問題ですよね。
親として最高だと思える名前を子供につけてあげたいのは当然のことです。
しかし、何を優先すべきかと考えると、名前よりも優先させなければならないこともあります。
これが、このエントリーを通して僕が主張していることです。

>ただ、そこに名前で変わる人生もあるかもしれないということを考える人間がいるんだと分かってください。

考える人がいるという事実だけは理解できました。
でも、僕には理解することはできません。

>その人たちの杓子定規で決める規則なんて、どれほど意味があるのでしょうか?

規則は大切ですよ?
法治国家で、ぬくぬくと安全に暮らしている僕にとって、規則に意味があるかどうかを議論することなんてできません。

>例外を認めてはならないというプライドも小さなものです。

規則の例外って、プライドで認めるものではありませんよね?

>裁判まで起こったこの問題に対して、その人たちが「この漢字も使っていいようにしようか」と考えなおしてくれることに期待を持って、起こした裁判のように思えます。

繰り返しますが、それは主観ですし、そのために自分の子供を犠牲にしていい理由を述べなければ、反論としての意味をなしませんよね?

>名前は和をモチーフにした、平成の世ではないような名前にしました。私のエゴでね。

友達はともかく、奥さんやご両親の反対を押し切って、あなたが良いと思っている名前を貫き通したという点では、今回の件と似ている気がしますね。
もっとも、規則に違反していないという点では、僕が反論している内容とは若干異なりますが。

上記は、主題とは違う話題ですが、主張する背景の話だと思いました。
なので、僕の背景についても少しだけ触れておきます。

僕には、愛という平凡な名前の4歳の娘がいます。
妻が付けました。

9年の不妊治療の末にできた子供です。
たくさんの時間と、お金を費やしました。
不妊治療は保険が利かなかったためです。
また、9年間という歳月を、精神的にも肉体的にも大きな苦痛に耐えつづけました。
血のにじむような・・・という言葉がありますが、妻はの場合は、血も流しましたし、不妊治療の結果、子宮外妊娠(卵管に着床する)により卵管を切除する手術を2回しました。

当時の辛かった経験は、書くとキリがないほどで、今思い出しても胸が苦しくなります。

今の子が無事生まれそうだとわかったとき、僕は、自分の体を犠牲にして最後まであきらめずに頑張った妻に、好きな名前を付けて欲しいと思いました。

妻は、たくさんの名前を考えましたが、最後に選んだ名前が愛でした。

流行りの名前だと言われることもあります。

しかし、愛という名前は、結婚した当時に、妻が「女の子なら愛にしたい」と言っていた名前でした。
その当時は、愛という名前は少なくて、僕は、失礼ながら「古臭い名前だな」と感じたことが記憶に残っていました。

最後に繰り返しますが、名前は大切なものです。
しかし、それ以上に大切なものがあるのではないでしょうか?
・・・と、僕はずっと言い続けています。

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