なんか、「俺が死んでも明日も世界は何事もなく回るから、俺に存在価値はない」という話を思い出した。
これは、俺と世界という規模が違いすぎるものを一緒に論じているのが間違い。
同じ論法で「地球が滅んでも宇宙は明日も何事もなく存在するから、地球は今すぐ滅んでもいい」というのが成り立ってしまう。もちろん滅んだら困る。
俺が死んだときの影響は、俺と他人が交換不可能である程度に密接な関係の枠内でしか量れない。ハッシュが衝突しない程度の狭い集団の中でしか、とも言えるか。
何らかの「新しいこと」というのもそんなもんで、なんとなればハッシュが衝突しないような恣意的に狭い集団を選んで、その中で「新しい」ということでもって満足するしかない(その中には例えば「今までの自分がやっていないこと」という範囲の取り方もあるだろう)。
自分の考えたことをまだ地球上の誰もやってないということを証明するのは極めて困難で、仮に可能であったとしても途方もない時間の無駄。
けれど、「どうせどこかで誰かが既にやっているから」と、本当にやっているかどうかを確かめもせずに最初から投げるのであれば今すぐ死んでしまえ。
地球上で誰もやっていなくとも、アンドロメダ星雲では誰かがやっているかもしれないじゃない?
「自分にしか出来ないこと」が、本当に自分にしか出来ないかどうかなんてわからない。
「少なくとも、自分の目が届くごく狭い範囲の中では、自分しかやってない」くらいに絞らないと。
その範囲を地球全体に絞るのと、数人のグループに絞るのとでは、それほど違わないんじゃなくって?
あー…そう考えるとインターネットなんつうものは害悪の極みでしかねぇなぁ。