とあるBlogに「1+1が2になる仕組みは?」と小学校低学年のとき質問して得た回答が「暗記物だよ」という話がありました。
(*)書きたかったネタなので便乗して。
だれかの幼少期(エジソンだとの声ありましたが)に「1+1=2の必然性」の話がありますね。 疑問に思うのは、尊いことだと思います。回答如何で大きな影響もあるでしょう。
しかし、この手のエビソードに懐疑的です。
ニュートンは林檎を落ちるのを見て、引力を発見した....ことになってます。
ニュートンはケプラー則を理解していて、引力との関係も既知の事項だったようです。
でも、ケプラー則に従って宇宙が動いているのではなく、宇宙の動きが説明できるように考えだされたものがケプラー則でしょう。
法則は、測定技術が向上すれば、新法則にとって変わられます。しかし宇宙の動作が急変することはありません。
相対性理論もひっくり変える時が来るかも知れません。
物を数える基本は、1個、2個,,,,です。 2点の物を2個と表現するのは自然なことで、計数に整数論を持ち出すと混乱します。
一種の約束事なのかも知れません。その意味では「1+1は2と覚えなさい」というのは、正しいのかも(?)
(*) 1,2,沢山 という思考回路もあるようなので、"我々のなかでは"という前提条件になりまずか
閑話休題
「斜め上方に投げた物体は放物線を描いて飛ぶ」のでなく、投げた物体の軌跡を放物線と称しているのですよね。(間違っていたらゴメンナサイ)
飛ぶ物体が意識して放物計算や空気抵抗を計算して、自力飛躍しているわけではありません。
世の中の仕組みを説明する方法として、法則が考え出されました。しかし、法則に従って世の中が回っているという表現は、引っかかります。
法則は一定条件の下で成立するのですが、成立条件を意識しないケースも見受けられます。
(以前 日本の度量衡単位ここ で話題に出したのですが、)
円の一週は360度です。これは「地球の公転が約360日だったことに由来する」という人もいますし、「無関係だ」という人もいます。
私は、約360日説に賛同します。12の公倍数が扱い易いとはいえ、偶然というには、巧すぎる気がします。
「戦後 1ドル=360円とした根拠は、通過単位「円」= 360度から来ている」説があります。こちらは、眉唾感がありますが。
96勘定という計数方法があり、1文硬貨96枚が100文として通用しています。、明治初期の切手は、 48文切手が50文相当で通用していました。
これなどは、約束事ですよね。理論的説明は馴染みにくいし、こじつけ感があります。
「なぜ 1 + 1 は 2なんだ」「2以外であっても良い」と幼少期に疑問をもつことが、立派なことのように伝えられていますが、
後付の美談エビソードに聞こえるのは、私がオカシイのかなぁ。