「努力は報われる..だからがんばれ」軽薄な言葉ですが、私は信じています。しかし、努力した人がすべて報われるとは思ってません。努力の内容と運に左右されると考えるからです。
価値のある努力をした結果、報われるのは納得できます。報われるなかったら運がなかったのか、努力が張りぼてだったのか。 その努力は無価値だと判定するは難しいです。全く無価値な努力なのか、無価値に見えるが、実は大きな価値が在ったというのはありえます。現代に、木炭エンジンの研究をするのは徒労に終わる可能性が高いでしょう。
OS/2のPMでのアブケーションやDOS/Vでのアプリケーション開発は、特殊事情で顧客特注でない限り、価値は低いでしょう。(マニアや趣味レベルは省きます。)
価値ある努力の結果、評価して貰えるか否かは運の領域になると思います。
錬金術のように、目指したものは実現できなかったが化学の進歩に貢献するようなこともあるので、無価値の判定は難しいです。
努力した本人が報われなくても、関連業界に寄与することもあります。
当人の利益で「報われた」と判定するか、業界寄与で「報われた」と判定するかは本人の価値観もあって、断定はできません。
ゴッホが不遇・不憫な画家と言われますが、本人は、好き勝手なことをして、幸せだったと見る見方もできます.....絶対判定基準なんて在りません。
努力が、上司や友人や顧客に理解して貰えるか否か、相手に伝わるようにプレゼンできるか否かは、時代、双方の相性も大きく影響します。個人の意志では、どうにもできない部分だと思います。
有意義な努力をした人で考えてみました。
周りから「辞めとけ」「そんな分野の仕事はこない」と散々忠告された事でも、継続していると、開花することがあります。それに関連する仕事が来たりします。
開発中に、解消困難な事象にぶつかった時、解決に向けて努力していると、解決策を知っている人が通りがかったり、関連書籍が出版されたり、Webに記事があったり、たまたま入った本屋で、昔の書籍をバラバラめくっていると解決策が載っている頁が見つかったりします。
普通なら、立ち寄らない本屋だったり、手に取ったりしない本でも、入りたくなってり、手にとってみたい衝動に駆られる時があります。音信不通だった旧友が関連情報を通知してくれたりもします。こういう事が、行き詰まって悩んで居るときに起こります。幾度となく経験することでする。正に、継続して苦しむと、誰かが救ってくれると思います。
知識も提供すると、それ以上のものが入ってきます。出し惜しみすると、入ってこなくなるので不思議なものです。
これらの現象が偶然なのか、神がいるのかは、それこそ神のみぞ知るです。私は、偶然を作る神が存在していると信じます。といっても、新興宗教の開祖になろうとしているのではありません。宗教は否定してます。無信仰です。精神の拠り所を求めないからです。
超越した、偶然を演出する何者かは存在し、歴史のターニングポイントには必要な人材を配分しているように思うのです。
そう考えてくると、世は誰かの意志で運営されているという人も現れるかも知れません。しかし、そんな単純なものではありません。「誰でも、存在価値はあり、役割の無い人は居ない」という主張は否定します。
秋葉事件や、駅構内の「だれでもよかった殺人」の説明が尽きません。殺された人も殺される運命だったということに成りかねませんし、殺人者の存在も意義があるのかとなり。それでは理不尽過ぎます。
その面では、人権派弁護士や加害者の人権擁護派の人とは対立します。精神鑑定で無罪になるような法は、おかしいと思ってますがそれは別の話になるので、ここでは書きません。
そのような主張をしているのではなく、「宝くじは買った人にしか当たりません。」「努力することによって、道は開ける」と言いたいのです。
誤解回避の為に補足しますが、「成せばなる。どんなことでも頑張れば実現する」という精神論は否定します。上記と被りますが、無意味な努力はいくらガンバっても無意味です。
10人月の仕事はいくら優秀人間を10人集めても一ヶ月では完遂できません。
仕様変更が入っても納期は同じで、「やらねば成らぬ。努力すればできる」とハッパをかけても、無意味で理不尽なだけです。
このニュアンスの差は解って貰えると思います。
厳正利益で信仰しても無意味なのは承知の通りですし、免罪符などという発想じたいが自宗教の否定だとも考えています。
水害、天災などのの災害に逢った時、救われる順序はなにか.......信仰度合いや寄付度合いではないです.....
自衛隊や国際救助対やサンダーバードが到達した地点の近くにいた人から救われるでしょう。
その地点の選定は、ヘリや救援車が入れる場所が選ばれるでしょう。
その瞬間にその地点に居合わせたのは偶然でしょう。....それを信仰による選民だと考えるのは無理があります。
P.S.地震は地殻変動で不可避なものでしょう。誤解を恐れずに書けば、阪神淡路大震災の時に痛感したのですが、発生時刻が、5時46分だという事です。
日中に起こっていたら、被害は数倍以上になっていたでしょう。最小になるように意図が働いたと感じるのです。
関東大震災は 正午前でした。こちらは逆に、最悪になるように働いたのかも知れません。
この領域は、人の知識でどうのこうのいう範囲ではないでしょう。