開発の仕事をしていると効率や無駄を避ける癖が付いてしまい、家族から(普通の人?)から嫌がられる事があります。
二階/三階の一戸建の家では複数のトイレ設置は当たり前で、内風呂が当然になってます、
1日24時間のうち、トイレが使われている時間は、1時間もない気がします。風呂は1~2時間かな。
稼動率でみると 1時間/24時間となり、空間使用率は低いそうな。待ち行列を考慮しても8棟に3セットのトイレで困らないとか。
風呂は町内に1軒の銭湯で間に合うそうです。共同トイレ、銭湯生活も、不満はあるものの、生活に差し障りはありませんでした。
共同炊事場はさすがに不便でした。
生活文化は、共同所有の物を個人所有に拡大することでもあるのかなぁと思うのです、
二世帯住宅などは1軒の中に複数のキッチンを設置したりします。
テレビの出始めは、公園に街頭テレビが登場して、大勢で1台所有==> 各人が複数台所有(ワンセグ含む)
電話のの出始めは、町内に所有している人が少なく、所有していない人を呼び出してもらってました。電話帳も 電話太郎(呼)5-12XX などと掲載されてました。
=> 個人が複数の携帯を所持してます。
プリンタ/コピー :当初はコストも相当かかるので、必要な資料を必要な枚数だけコピーしてましたが、今は、とりあえずコピー、不要なら読まずに捨てる
家のなかの電化製品は殆どが待機機能を実装しており、待機電力は 5から10%にもなるといいます。
タイマー動作をセットしている家電も多く、5分以上ブレーカーが落ちたり、停電になると復旧が大変です。
「文化は無駄を生むことで成り立っている。効率化だけではビジネスはできない。」と誰かが言ってましたが、否定はできません。
ということは、われわれの仕事のあり方も考えないといけないのかなぁ。 DB効率やシステム効率、部品の再利用性、OOP 等々作業効率の改善で開発技術は進歩しています。
開発業務自体は、効率良く二度手間のないようにするのが基本で、開発文化ですが、その成果物を活用する実社会は合理性だけでは成り立っていません。無駄な事でも恩恵を被っている方もいます。開発者論理を主張すると角が立ちます。
非合理的な業務仕様なアプリケーションも時折目にしますが、それなりに意味はあるそうです。
精神的満足は、物質的な非効率、贅沢の上に成り立っていると考えるのは思考が捻くれているのかなぁ。
アプリケーション展開は難しいものです。