Mr.Tです、こんにちは。
自閉症の親、それと周りにいる近しい人たちが、「その人は自閉症である」ことを受け入れることは、
色々な穴があるようだ。これは中々おいそれとは飛び越えられない、ものかもしれない。
時間がかかってようやくできることもあるだろうし、相手の成長のきかっけ、もしくは環境の変化等々によって
ふと受け入れられている自分に気がつくが、なにしろ、穴は無数にあいている。
一度落ちた穴から這い上がったからといって、別の穴に落ちないとはいいきれない。
そして、それははじめから見えているわけではない。一度見えるようになったのであれば、だいぶ穴には落ちなくなるだろうけど。
あなたは、すでに別の世界の中に足を踏み入れてしまっているのだ。
■受け入れられぬ
そもそもが、親は子供を選べない。子供も親を選べない。
つまり、障害うんぬんを抜きにしても、子供が親に受け入れられないという現象は、全く珍しくない。
「本当にオレの子供か?」
「全く似てないじゃないか」
「なんでこんなにブス/ぶさいくな顔なんだ?」
「オレには関係ないだろう」
「子供なんか、好きじゃない。欲しくなかった」
「仕事の邪魔をするな」
なにも、自閉症だけじゃないではないか。こんなにも親は子供を受け入れない。
しかし、現実には、その子は存在しており、生きている。そうやって見ないようにしても
自閉症がなくなるわけでも、その子がいなくなるわけでもない。日々生きて、何かを感じて、あなたに接してくる。
たいてい毎日顔をあわせているはずだし、その言葉、行動を見聞きしている。
それをしていないというのは、単純に蓋をかぶせているだけだ。
受け入れられないことが発端で、二次、三次と弊害がおきるのは、その自閉症である子供だけではなく
その親に対してもそうである。実は、これら弊害の方が、当事者や親にとって深刻なケースにつながる場合もある。
その弊害というのは最悪の場合、死に結びつくような形になってしまうかもしれない。
そうでなくとも、離婚、別居、家庭内暴力(DV)、心のすれ違い、無視、といった様々な形として現れる。
■知識がない ・経験がない・用意がない
何かを行うにしても、まったくの徒手空拳では、それこそ現実に押しつぶされてしまうだけである。
が、自閉症という診断を受けた親たちのほとんどは、3つのものがない状態で、いきなり宣告をされる。
#医師からの診断を受けて、ようやくきちんと病名がつくのは、実際小学校に入ってからというのは結構少なくないようである。
診断前の状態でも、子供がどこかヘンである、ということは薄々気がついているはずだが、むしろそれを打ち消したくなる。
「こんなはずはない!」
「お前が教育していないからだ!」
「こんな遺伝、ウチにはない!」
「遅れているだけ!」
「ウチの子は障害者じゃない!」
例えば、そういうことでなくとも、
その子供が人のたくさんいるデパートで、パニックを起こしたとき、
人にぶつかってもごめんなさいといわなかったため、相手が烈火のごとく怒っているのをただ、眺めているとき、
ふと療育手帳を手にとって、その判定を目の前にしたとき、
さまざまなときに、その事実をつきつけられる。
なぜ、こんなことができない?
なぜ、こんな風になってしまう?
どうして、どうして?
それに対する答えというのは、知識では埋められない。
であるから、親が最初受け入れられないというのは非常に当たり前のことで、珍しいことではないと私は思っている。
そうであるにもかかわらず、自閉症の親がどうすればその一歩を踏み出せるのか、ということについて触れられている
ものは少ない。
■どうすればいい?
最終的な結論としては、「どうしたいの?」と聞き返したいくらいだ。
いや、普通の子には、どうしたって「直らない」のは、もう身をもって体験しているに違いない。
だからこそ、指標を失ってしまっているという状態なら、いったん、最低限何を求めているのかについて考えてみることだ。
その中で妥協しなくてはいけないこと、というのが必ずある。
すくなくとも、「あなたが変わらなければ、子供を望む方向にはもっていけない」のは確かだろう。
すくなくとも、今の自分が子供のすべてを受け入れられることなんて、絶対にありえないと考えても問題ない。
なにしろ子供というのはたいてい暴君なのだ。トンデモ上司なのだ。無遠慮な近所のオバサン連中なのだ。
いわゆる普通の親だって、何度も間違い、受け入れるのだ。自閉症の子供なら、なおさらだろう。
まずは受け入れられない自分を取り戻すのが先だ。あせってはどうしようもない(※1)。すくなくとも、小学生だから、
中学生だから、高校生だから、成人だから、というのは、彼/彼女の発達には、なんの意味もない。
#すでに、通常という枠組みから外れた時点で、年齢による判断を求める視点というのはほぼ意味がなくなる。
#彼らは、小さいうちから、その先どうやって社会でいきていくのか、の判断を求められる。
そして、受け入れられない部分が、いくつあるのか列挙してみるのが一番だ。
まずは、それについてきちんと話ができるようになればいい。 (※2、3)
誰に?伴侶に、医者に、親に、友人に、他人に。
そして、それを形(言葉/絵/画像/映像/音)にしておくことだ。
それらすべてを使わなくてもよいかもしれないが、それによって、相手が理解してくれるかもしれない。
理解してくれた、というのは、自分を相手が受け入れてくれた証拠だ。
非常に苦痛ではあるが、現時点では、それが最良な方法ではないか、と思う。
※1
それすら考えられないとか、というのであれば、
「今自分は、落ち着いて考えられていない」ことを認識する。
#ここでいう落ち着いたというのは、見た目の問題ではなく、きちんと受け入れられない部分を挙げて、
#話ができることだ。
※2
こういうのは「時間が解決してくれる」という部分も非常に大きいし、いきなり変化することはできないだろう。
ただ、実際、時間だけでは解決できない。今すぐやれ、という部分を先延ばしにするだけだ。
時間を経るというのは実際、感情を含めた記憶が薄れるということだけだ。それで再び前にすすめるだろう。
今の抱えている問題に対しての感情を風化させてくれるので、その間に、問題が解決できるくらいの状態に成長していれば、
総じて時間が解決した、ということになる。
※3
すこし落ち着いてきて、色々と考えることができるようになってきたら、私が頑張らなくちゃと思いはじめる。
その時には、きちんと子供のために何をすべきなのかを考えることだ。
そして、それは本当にそうなのか、というのを確認することだ。可能ならば、色々な人、複数の人に確認するべきだ。
だからといって、正しい答えが得られるとは限らないのだけども。