対象は、これ→グーグル、私道内に侵入したとして非難される--Street Viewをめぐってhttp://tb.japan.cnet.com/tb.php/20379286
オリジナルの記事と比べると、次の段落がない。
Google finds no privacy on private roads(cnet newa)より:
Cerf may have been channeling former Sun Microsystems' CEO Scott McNealy, who said, "You have no privacy. Get over it" in 1999. Either way, Cerf explained himself on Google Blogoscoped: "It was intended to be partly in jest and partly irony...I was trying to suggest that we really have entered a period when things are a lot less private. Think of the ease with which photos and videos can be taken, digitized, shipped around on the Internet, posted on YouTube or its equivalent."
Cerf 氏は、Sun Microsyatems の CEO である Scott McNealy 氏の「プライバシーなんてものはない。受け入れなさい。」という1999年の発言を意図したのであろう。Cerf 氏は Google Blogoscoped で次のように説明している。「あの発言は、冗談且つ皮肉を含んでいます。私は、我々がすでにプライベートではないことを示唆しようとしてきました。写真やビデオが撮られ、デジタル化され、インターネット上の YouTube や同等のサービスに対して容易に送信し、公開されることについて考えてください。」
で、その、Scott McNealy 氏の発言については、こちら→Sun on Privacy: 'Get Over It'
ん~。。。まぁ、この段落があったからって、あまり変わらないか...?
もう一つ CNET から、おもしろいブログ エントリを紹介。
グーグルはストビューで「よそ者」化する(佐々木俊尚 ジャーナリストの視点)より:
日本人観光客にとって、ドイツに住んでいるドイツ人は見知らぬよそ者であり、そうしたドイツ人の存在は単なる通りすがりの風景のひとこまに過ぎないからだ。自分の住んでいる日本の地元の街は世間というコミュニティの内側、つまり「身内」だが、ドイツの街角は世間の外の「よそ者」であり、そこは日本人にとっては同じ人間の住む街としては認められていない。
なるほど、おもしろい考え方だと思う。同じ記事で紹介されている、ドイツにお住まいのアメリカ人の方について、少し。
観光客が、カメラを向ける。ここで撮られる写真は、どのように使われることを想定しているでしょう?この方は、次のように書いているそうです。日本人のアルバムに自分が収まっている
なるほど。では、このアルバムは、どのように使われるのでしょう?本人が、旅行を懐かしんだり、その友人などごく限られた範囲で見せるくらいではないでしょうか。
Google Street View と、旅行者による写真の違いは、2つあると思います。ひとつは、公開範囲。もうひとつは、撮られているという意識。
写真を撮るとき、撮られるとき。インターネットがない時代では、そこには撮る人が制御できる範囲で公開するという、暗黙の取り決めがありました。というか、制御できない範囲まで公開する方法がありませんでした。もちろん、ジャーナリストや写真家などは除く。
ところが、インターネットの時代になると、公開する範囲が格段に広がります。撮影者のプライベートな範囲でしかなったのが、それこそ世界中になったのです。もっとも、初期の頃は、印刷したものをスキャナで取り込み、必要によっては縮小してアップロードするという、それなりに手間がかかる行為でした。また、インターネットを閲覧する人も、限られていました。
さらに進んで、今。写真やビデオは、撮影したときにデジタル化されています。日本の家庭においては、インターネットに繋がっていないパソコンの方が少ないかもしれません。Flickr などのサービスによって、公開する場も提供されています。
しかし、そうであったとしても、考えなければならないポイントがあるのではないでしょうか。
他人の、プライベートな部分に立ち入っていないか。
隠したいものが、たまたま写ってしまっていないか。
悪意(ここでの「悪意」は、被写体が「好ましくない状態である」と思う状態にすることを意味する)を持って公開するのでない限り、人が公開するものは、被写体が他人にふれて欲しくない部分がマスクされていることを期待できるでしょう。あくまでも、公開する人に悪意がないことが前提としてありますけど。
で、Google Street View の悪いところは、人為的な「善意」(先の「悪意」の対局)が介入しておらず、機械的に処理されているところではないでしょうか。機械的に処理されているので、悪意はありません。しかし、善意(というか、悪意の是正?)もありません。
また、撮影されたことに気づいたかどうか、という問題もあるかと思います。確かに、何をしようと逃れられないし、何をしようと気づかれずにはいられない
と思います。確かに、「意図的に軽率になる瞬間」には、「プライバシーなど存在せず、受け入れるしかない」
でしょう。ところが、ここにも、“公開されるであろう範囲”に対する思惑の違いがあります。公の場で軽率なことをしている人でも、その軽率な行為が大衆の目にさらされているのは、“その場限りである”という意識があるでしょう。しかし、写真に撮ると、その行為は永続化されます。
秋葉原で起こった殺人事件の時だったと思いますが、被害者を携帯電話のカメラで撮影していた人がいたそうですね。その人たちに向かって、「やめてください」という人もいたそうです。撮影されていることがわかれば、公開される前に「やめてください」ということも、あるいは可能です。しかし、Google Street View の場合はどうでしょう?ほとんどの場合、撮影されたことに気づかず、写真が公開された後に気がついて、「やめてください」と言っているわけです。
また、意図的に軽率になるわけではなく、あるいは軽率な行為の被害者として、被写体になる場合もあります。そのような場合に対する考察が行われているのでしょうか。
CNET Japan にもうひとつ、興味深い記事がありました。
自宅前に倒れ伏した泥酔者を激写--グーグル「Street View」をめぐり豪州で物議(CNET Japan)より:
運転手は車を止めて、Billさんが大丈夫かどうか確かめなかった。車道に出ているBillさんの足を戻そうともしていない。
人助けという善い行いをしなかった運転手は誰だったのか?彼は冷血なロボットのような人物なのか?どんな指示をもらっていたのか? なぜ彼は助けなかったのだろうか。せめて、サービスを開始する前にGoogleの社員は倒れているBillさんの姿に気づかなかったのか?これはそんな疑問が残ってしまう1件であった(Googleはこの話が世論の注目を集めたことを受けて、この画像を削除している)。
Google が Web 上で集めていた情報は、誰かが公開することを望んだ情報でした(もちろん、悪意によって公開されてしまった情報もある)。しかし、路上で Google が集めているのは、公開を望んでいない情報かもしれません。公開されることを望んでいない情報を公開する必要があるのでしょうか。
投稿日時 : 2008年8月27日 21:17