今日は直打ち。
まずは、前のエントリのネタもと。http://www.atmarkit.co.jp/news/200612/13/winny.html
「Winny裁判」で有罪判決、自由なソフト開発はもうできない?
新たなアイデアの登場を妨げる
開発者にとって新たなリスクの出現
リスク対策のガイドラインが必要か
このように、Winny 事件の判決が、ソフトウェア開発の現場にとって、脅威になると説いている。編者は @IT 垣内郁栄氏。
対して、ジャーナリストである佐々木俊尚氏の記事。http://www.atmarkit.co.jp/news/200612/15/winny.html
「Winny自体は価値中立で有意義」の司法判断、その影響は!?
Winnyの技術は応用可能で有意義、価値中立的と判決で明言
ソフトそのものに犯罪助長性はない
Winnyが技術者に問いかける、もう1つの問題
おわかりいただけるだろうか。
タイトルには佐々木氏の思惑は全くない。強いていうなら、最後の「Winny が技術者に問いかける、もう1つの問題」であろうか。これによって、佐々木氏が、一般に報道されていること、「犯罪に使われる可能性があるかどうかの判断を開発者が行い、少しでもあるなら刑事告発されるおそれがある」という問題の他に、問題があると考えていることがわかる。
本来、ジャーナリズムとは、事実を事実として伝えることが、責務ではないだろうか。そこに、編集に携わった人間の思惑を差し挟むことは、ジャーナリズムに反するのではないだろうか。
しかし。現在、スポンサーの意向など、事実だけではなく、報道サイドの思惑が追加されることが多々ある。そして、問題になることもある。
あるいは。
我々、報道を受ける側が、考えることをしなくなっているのかもしれない。
「人は考える葦である」とは、誰の言葉だったであろうか。「我考える。故に、我あり」と結論づけた学者もいた。
考えることをしなくなったら、いったい何になるのだろう?
投稿日時 : 2006年12月17日 18:50