> ポイントだけを簡単に述べると
> 「文字」の使用によって、初めて「個々の存在性から自由になり、結果として関係性の記述になる」
> という事だと思います。
あ、誤解していたことがわかった。「文字」=私が使ったところでの「変数」ね。
この辺、理解していただけました?
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鶴亀算や電車のすれ違い、鉄橋の長さと電車の速度の関係、どれも x, y を使って解けば、すぐに解けるのです。しかし、そうしなくても解ける。そして、そうしない方が、様々な考える力を必要とされます。
文章を読み解く力、必要な数値を拾い上げる力、それぞれの数値の関係を見抜く力、そういった、基本的な力があって、それらを応用して、やっと解ける問題です。
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あと、このブログも紹介しましょうか。
http://satoshi.blogs.com/life/2006/08/post_4.html
>>>>>引用>>>>>
数年前に、当時小学5~6年だった私の上の息子に、塾から出された鶴亀算の解き方を教えた時のことを思い出した。「これは息子に方程式を使った問題の解き方を教える良い機会」と思った私は、xとyを使った鶴亀算の解き方を彼に教えてしまったのだが、それに気が付いた塾の教師に叱られてしまったのである。彼女によると、その時期に方程式を使わずにさまざまな問題を解く訓練をさせることが子供達に「考える力」をつける意味でとても重要なのだという。
言われてみるとつくづく納得できることなので、本当に反省してしまったことを良く覚えている。確かに方程式は便利ではあるが、あまり早い時期に教えてしまうと、問題の本質を直感的に捉える力などを養う機会を逸してしまう可能性があるのだ。
<<<<<引用終わり<<<<<
特に関係あるところだけを引っ張ってきましたが、是非、本文すべてを読んでいただきたいと思います。
方程式だけが、関係論ではないのです。
投稿日時 : 2006年9月30日 22:15