先日、息子の卒園公演がありました。ミュージカルというか、バレエというか。。。その練習の時、園長が子供達に言っていたのが、タイトルの言葉。「もっと頭を使いなさい」。
曲のリズムを考える。情景を考える。自分が今演じているのは、どの様な場面なのか。こんな曲が使われているのはなぜなのか。そういうことを考え、自分はどの様に演技するべきなのかを考える。
自分は、次にどの様に動かなければならないのか。他の子は、どの様に動いているのか。だから自分は次に、どう動くべきか。
「ここは追いかけられているんですよ。それなのにどうしてキャーキャー笑ってるの?」
「最初は喧嘩していたんだけど、助けてもらったんだ。『どうして?でも、ありがとう』という気持ちをもっと表現しないと。」
「ただ突っ立っているんじゃない。ここはどういう場面ですか?頭を使って、もっと考えて。」
子供達に飛ぶのと同じ声が、大人にも飛びます。
「もっと探して。探そうとしたら、もっとよく見るでしょ。止まって、見る。移動して、止まって、見る。」
あれ?大人の方が具体的...
何をしなければならないかを考えるように要求される保育園から、何をするか指示される小学校に行ったら、確かに楽に感じるでしょうね。
そして、中学、高校、大学と、同じように、何をしなければならないのか、指示される。そして、社会に出て、急に自分で考えるように要求される。大学は、本当は学校ではないので、自分から学ばなければいけないのですが、最近は高校の延長みたいですね。
私が就職した頃、「最近の新人は、直せといわれたところしか直さない。縦横に計算するんだから、真ん中の数字を直したら、計算結果も直さなければならないがわからないのか」という声が聞かれました。今は、どうなんでしょうね。
もちろん、技術屋の仕事に応用できるから、書いているんですよ。応用は、各自でしてくださいね。
最近、脳を活性化させるとか、脳年齢とかが流行っていますね。ゲームとか、テレビ番組とか。「アイ・キュー・サプリ」とか、「さるぢえ」でしたっけ?これらの番組ででている問題は、「問題」というより、「だじゃれ」ですよね。でも、そういう「だじゃれ」が、なぜ脳の活性化につながるのでしょうか。
例えば、算数の計算。計算が得意な人と、苦手な人と。計算問題を解くとき、どちらがより「脳」を使っているでしょうか。サーモグラフで見ると、苦手な人の方が、温度が高い、つまり、頭を使っています。どうしてでしょうか。
算数の「九九」を、計算する人はいますか?計算するのではなく、「さざんがく」とか、「はちにじゅうろく」と、計算式と答えをセットにして憶えているのではないでしょうか。計算が得意な人は、たくさんの計算の組み合わせとその結果を、憶えているんですね。いちいち計算しているわけではないので、計算も“速い”し、頭も使わない、という事なんですね。
人は誰も、経験を重ねるにしたがって、様々な「体験」という「計算」を憶えることで、「対応方法」という「計算結果」を頭を使うことなく、導き出せるようになります。
つまり、頭を使わなくなっているわけです。
だじゃれ的な問題は、今まで「経験」してきた「計算式」では、「計算結果」が出せないわけです。この間の放送で出題された問題ですが、「マッチ棒を4本使って、81を作ってください」。答えは、「くく」。
“81”という形に囚われるとどうなるか。デジタル数字のように表そうとすると、9本あるいは8本必要になります。ちょっと捻ると、マッチ棒の軸を使って□を2つ繋いで8にしても、1があらわせません。または、不釣り合い。漢字で「八一」でも良さそうですが、これだと3本で足りてしまいます。
今までの形、見えている形から抜け出す。そして、頭を使って考える。
“81”という数字を直接表すのではなく、計算の結果として示す。そして、その計算も、数字の計算ではなく、ひらがなとして表す。この、形を抜け出すときに、頭を使っているわけです。そして、今までの形に囚われない発想が出来るかどうかが、脳の若さというわけです。
って事で、回答になりますか?→脳力トレーニング 巷で流行っているゲームが言うところの「脳年齢」の基準ってどこにあるんでしょうか。
参考:@IT 問題解決案を導き出す「柔軟な発想力」を鍛える
投稿日時 : 2006年3月14日 9:10